野川探訪 都会の清流、野川の歩き方と自然のご紹介
武蔵野の面影を残す野川、かつて田んぼと雑木林の中をゆったりと流れていました。
ひとたび雨が降れば、なかなかの暴れ川、護岸改良で昔の面影は失われましたが、
今も、みんなの憩いの場として、サイクリングにジョギングに散歩に、親しまれています。
そんな野川を、都立野川公園から二子玉川まで、地図と写真でご案内します。
うぐいすの初鳴きを聞きました
狛江周辺は、かつて、小川が数多く流れていました。世田谷通りのわきにも川が流れていました。一の橋、二の橋の辺りでしょうか。
今は、緑地公園、緑道公園となっていますが、武蔵野を想わす、数多くの樹木が植えられています。
敷地の広い住宅が多いせいでしょうか、かつて花壇の代表的花だった、カンナ・グラジオラス・ダリア・ユリ等が今も栽培されています。
野川から、多摩川に至る喜多見、狛江地区は今も貴重な野菜の産地です。
狛江市の枝豆は特産物であり、大変美味しいのです。
野川にはカワセミやキツツキ、多摩川にやって来る渡り鳥など、数は減っていますが、まだまだ多くの種類の鳥たちが見られます。
案内図と風景写真アルバム
野川周辺の見所
旧野川の流れていた街・狛江の詳細ご案内。
日立中央研究所、殿ヶ谷戸庭園、お鷹の道など野川の源流となる湧水を国分寺に訪ねる。
都立野川公園
ゆったりとして、細長い芝生が何本も走る野川公園は、もともと隣接する国際基督教大学のゴルフ場でした。
その土地を東京都が購入し、1980年6月に都立公園として開園しました。
東京では浅草寺についで古い歴史を持つ寺で、天平5年(733年)創建。
当時は法相宗だったが、貞観年間(859〜877)に天台宗に改宗。
その後鎌倉時代は源氏の祈願所として栄えた。草葺き屋根の山門は桃山時代に造られたものといわれ、境内で最も古い建物。
寺名は、湧水の豊富なこの地に祀られていた水神の深沙大王にちなむ。
本尊は、恵心僧都作の阿弥陀如来像。寺宝の釈迦如来像は白鳳時代の古仏で国の重要文化財。
武蔵野の面影が残る園内で、四季を通じて草木の姿や花の美しさを味わうことができます。
この公園はもともと、東京の街路樹などを育てるための苗圃でしたが、戦後、神代緑地として公開されたあと
1961年に名称も神代植物園と改め、都内唯一の植物公園として開園されました。
次大夫堀は、今から 約400年 前の江戸時代のはじめに徳川家康の家臣、
小泉次大夫吉次 の指揮監督によって造られた農業用水です。
正式には 六郷用水と呼びますが、世田谷地方では、次大夫堀 と呼ばれてきました。
しかし、農地を潤していたこの用水も時代の流れとともに、農業用水路から、生活排水路へと姿を変えて行きました。
次大夫堀に少しでも昔の農村風景をよみがえらせたいという地元の方々の熱意と協力により誕生したのがこの公園です。
( 公園のあらましOut Line より原文のまま )
現在次大夫堀は丸子川と改称されてその一部のみが残っているにとどまります。
狛江市内にその面影を見る事は出来ませんが、丸子川沿いに次大夫堀の原風景をご紹介。
ちょっとお出かけ「武蔵の国」の見所
府中市にある市営野外博物館。市の花「梅」が1100本あり楽しめます。
立川飛行場跡地に、昭和天皇在位五十年記念事業として、造られた国営公園。
多摩丘陵生田緑地にある民家園。
高尾山が'ミシュラン'の三ツ星観光地に選ばれ、日本版旅行ガイドに掲載されると言います。さてどんな所?
学校の遠足の定番はどうしてフランス人に好まれるのか。
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