野川大橋付近

高谷橋

野川大橋の一つ上手の橋が高谷橋で、神代団地を結ぶ橋です。

この橋の辺りまで、調布市側、狛江市側共に神代団地が拡がっています。

 

野川大橋

旧鎌倉道(高井戸道)の道筋です。

 

旧鎌倉道(高井戸道)

 狛江を南北に縦断する道で、鎌倉道、高井戸道とも呼ばれたそうです。高井戸~祖師谷~入間~覚東~和泉~田中橋

~渡船場~登戸を結ぶ道です。昔は、福祉会館通り、田中橋の南の用水に鎌倉橋という橋が架かっていたと言います。

 狛江市のホームページ、語り継ぐむかしによれば、鎌倉道の伝承に基づいて名付けられたものであろうとしています。

  また狛江に入る少し手前の調布市入間町には、「是より泉むら子安地蔵尊二十五丁」とある百万遍供養塔  天明元年 

(1781 年) と 「西 いづみ村ぢぞう道」とある庚申塔 文化 九 年 (1812 年) が残っており、泉龍寺の子育地蔵に参詣す

る人が少なくなかったことを物語っていると記されています。

鎌倉道(高井戸道)がどのような道筋かと言う難しいお話はさておいて、

「狛江の古い道」(狛江市教育委員会編)に、国立公文書館所蔵の文化二年(1805年)の「目黒筋御場絵図」から狛江周辺

部が掲載されています。最も太く記載されているのが「甲州街道」、次に太く記載されているのが、「滝坂道」と「稲毛道」です。

稲毛道は狛江市を東から南西に横切る、大山道です。

滝坂道の滝坂は甲州街道仙川のキユーピーの工場の辺りの急坂の事です。今もつつじヶ丘の滝坂下からキユーピーの工

場の辺りにかけて、甲州街道の北側に旧道が残されています。江戸から八王子までは殆んど平坦な道が続く甲州街道の中

で、この坂が一番の難所と言われた地点です。

滝坂の由来は判然としませんが、荷車を引く馬が滝のような汗をかいたからとか、雨が降ると滝のように雨水が流れ落ちた

からなどと言われています。

滝坂の由来はともかく、甲州街道からキユーピーの工場を入り、和光堂の前を通り、上祖師谷神明神社手前で成城通りと出

会い、駒大グランドから祖師谷に抜ける道が滝坂道です。細い道ですが甲州街道に次ぐ主要道だったんですね。

江戸から狛江(あるいは狛江から江戸)に向かう人達は、大山道を利用するか、この滝坂道から、七曲りか大坂を経由して

行き来していたと思われます。

鎌倉道(高井戸道)は田中橋(現福祉会館通りにある)から二つのルートに分かれます。一つは田中橋の直ぐ先で右折して

鎌倉橋を渡り亀塚古墳を通り狛江三中裏から江東橋に抜けるルートです。もう一つのルートは田中橋の先で右折せず、泉龍

寺大門通り手前を右折、狛江三中正門前から江東橋に抜けるルートです。

詳細は「東京狛江タウンガイド」旧鎌倉道(高井戸道)をご覧ください。

 

糟嶺橋

糟嶺神社、明照院から来る(に向かう)道に架かる橋です。

 

糟嶺神社

言い伝えによると、武蔵国多磨郡的矢荘入間村の守護神で、農業の神、糟嶺大神を祀る神社です。

 

明照院

室町時代、16世紀中頃(天文・永禄の頃)に開かれた天台宗の寺です。

(左) 本堂 、(中) 観音堂 、(右) 閻魔堂

 

 

小足立橋