東名道〜246付近
新井橋
東名高速の下をこの辺りで平行に走る多摩堤通りに架かる橋
町田橋
町田橋から (左)下流を望む (右)上流、東名道方向を望む
宇奈根の渡し
町田橋を多摩川方向に渡ると突き当たりになりますが、直ぐ右に庚申塔があり、左に曲がれます。
細い道を進み左に曲がり宇奈根地区会館の交差点で水道道路に出ます。
右に観音寺左に常光寺と言うお寺があります。
観音寺は永正年間(1504〜1521)創立の小田原にあったお寺で、元亀年間(1570〜1573)にこの地に再建されたもの
だそうです。
庭には日傘をさした牡丹が咲いていたりして、小さいお寺ながら風情があります。
常光寺は近代的なお寺
宇奈根地区会館側に渡り真直ぐ進み、右手に曲がると多摩川土手に出ます。
宇奈根の渡しの場所は分かりませんが、丁度現在の警視庁自動車練習所辺りと思われます。
町田橋を多摩堤通り方向に向かい多摩堤通りを渡って崖線方向に進むと永安寺門前に出ます。
永安寺
延徳2年(1490年)、鎌倉に有った永安寺にちなんでこの地に建てられたと言う。
本尊は千手観音で恵心僧都の作と伝えられる観音様だそうです。
永安寺門前には左右に同じ様に馬頭観音等が並んでいます。門前左側の写真の方が古くからのもののようです。
馬頭観音も道しるべとされますので、永安寺左脇を上る新坂から来る人の為にあったのかも知れませんね。
写真(右)が馬頭観音、写真(左)
永安寺先の桜並木。この先に水神があり仙川を越えると、次大夫堀(六郷用水)が丸子川として残されています。
詳細は次大夫堀(六郷用水)をご覧ください。
天神森橋
(右)は、天神森橋から下流二子玉川方面を望む、建設中の高層マンションが正面に見える
多摩堤通り鎌田バス停、ちょうど不二家のレストランの向かい側に「うめのはし」と書かれたプレートが道路の縁石に埋め込
まれています。ちょっと見には川が無い様に見えますが、不二家のレストランの横から多摩堤通りを跨いで、野川に流れ込
む用水掘りがあります。この「うめのはし」は用水掘りに架かる橋なんですね。不二家のレストランの奥には、「水車橋」と言う
名前の橋が用水掘りに架かっています。多摩堤通り鎌田バス停向かい側の橋石
「水車橋」左が不二家のレストラン、この付近だけが開渠となっています。
鎌田橋
仙川との合流地点に架かる橋、仙川を跨いでいる
旧品川道(筏道)
野川と仙川の合流地点から吉沢橋の辺りまで、野川沿いに旧品川道が残っています。
品川道は、筏乗りたちが多摩川の上流から河口まで材木を運びその帰り道に利用したので六郷道、府中道、筏道とも呼ば
れた道で、狛江を東から北西へよぎる道(六郷〜大蔵〜喜多見〜岩戸一の橋〜和泉〜国領)だったそうです。
詳細は「東京狛江タウンガイド」旧品川道(筏道)をご覧ください。
下の写真右側の道が吉沢橋付近の旧品川道。
現状は橋梁と河川の改良工事中です。
野川水道橋
吉澤橋
吉澤橋から、(左)上流を望む (右)下流新吉澤橋を望む
吉澤橋から多摩堤通りに出ると吉沢橋交差点。吉沢橋交差点左手から二子玉川方向に砧線跡歩道が続きます二子玉川商
店街の通りを横切り駅に向かいます。
砧線跡歩道
瀬田の交差点を東急玉川線の路面電車が走り、東急砧線が砧本村まで通っていました。砧線砧本村は現在バスの折返所
になっている所で、簡易保険東京青少年レクセンターの辺りです。
この近くにはわかもと製薬の工場がありました。わかもと製薬のホームページには「昭和7年10月東京市外砧村(現世田谷
区宇奈根町)に東京工場を新設」と会社の沿革が記載されていますので、この地がわかもとの薬発祥の地とも言えます。
その後路面電車は廃止となり、一時期はトロリーバスと称するパンタグラフ様の物で動力を取り車体はバス(タイヤで走る)と
言う車輌になりましたが、短命で終わりました。近年やっと地下鉄化されて、長い間の不便が解消された訳です。同じ型の路
面電車が東急世田谷線としてごく一部の区間残されています。都電荒川線と同じ貴重な存在です。
子供の頃、東京青少年レクセンター辺りは多摩川砂利採掘の跡が池になっていました。関東大震災復興の為に多摩川砂利
を運ぶのがそもそもの目的の路線だったそうですから、池がやたら出来て当然と言えば当然。池のふちは擂り鉢状の急な斜
面になっていて転げ落ちそうでした。土ではなくて砂利なんですから、蟻地獄みたいなもんで、危険な所でした。多分柵が巡ら
されていた様な気もしますが子供達はお構い無しで遊んでました。
新吉澤橋
(中)上流吉澤橋を望む (右)下流二子玉川方面を望む、河川改修工事中
兵庫島から多摩川との合流地点を望む、上を走るのは246、その向こうに二子玉川駅が見える