山梨県の庭園

恵林寺(山梨県甲州市塩山)

’08年11月山梨県甲州市塩山の恵林寺を訪ねる。

恵林寺は元徳二年(1330年)、夢窓国師によって開かれ、戦国武将武田信玄が菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の古刹。

夢窓国師は伊勢の生まれで、甲斐へ移り住み九歳で出家。当時の領主、二階堂道蘊(どううん)に請われ邸宅を禅院に改め

たのが恵林寺の始まりだそうで、国師55才の頃といいます。

庫裏と本堂入口

説明板

史蹟名勝 恵林寺庭園

国指定になる史蹟名勝恵林寺庭園は鎌倉時代末期の元徳二年(1330年)

時の名僧夢窓国師によりて当山が開創せられし時 国師自らの手を染めし禅林の名園なり 国師この十年の後京□にて天

龍寺西芳寺(苔寺)両庭園を築造せられともに国師作造の代表庭園として著名なり 本庭園は本来禅の修行道場にして国師

築造の深渕なる奥秩父連峰を借景となす遠望を秘め森羅万象の□を包含せし意図□然たり庭内に臥竜松など十景を映じ

左右に雄瀑布(皷滝)雌瀑布(琴滝)を配し上段は枯山水下段は心字を中心となす池泉回遊式なり 江戸時代甲斐国主柳沢

美濃守吉保候は勅許にて甲斐八景を選び外山前中納言光顕卿をして当庭園を左の如くに嘆詠せり

  静かなる夕べの鐘のこえききて 見れば心の池もにごらず

庭園全景

日本庭園の廊下

庭園向かって左から右への眺め。

(左)雄滝 (右)心字池に架かる石橋

庭園中央部の眺め。

庭園向かって右の眺め。

(左)雌滝 (右)雌滝手前に架かる石橋

心字池

回廊の裏手の庭

右後方に山が見える。秩父連峰を借景としたと書かれているのでその一部かも。庭木が大きくなりすぎ、ほんの一部しか見

えません。

本堂の枯山水庭園

境内

黒門

門前のお茶屋さんの屋根の上の吊るし柿。

四脚門と三門の説明板

 

 

三門

武田氏を滅ぼした織田軍が恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、怒

った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶ならを封じ込め火を放った。天正十年(1582年)快川和尚、壮絶な火定

(かじょう)したと伝えられる場所に建つ現在の三門。

快川和尚は「安禅不必須山水減却心頭に火自涼」(あんぜんかならずしもさんすいをもちいずしんとうめっきゃすればひもお

のずからすずし)と唱え火定した話は有名ですね。

信玄の歌碑

三門の右手にある

(左)三重塔 (右)開山堂

左が本堂で真ん中に見える門が本堂の門

右が庫裏

庫裏の炊事用具

本堂内部

本堂の鬼瓦。武田菱の紋が光っていました。

 

日本庭園の廊下に置かれていたもの。どこに使われていた物か不明。

右上の写真の廊下から入る、うぐいす廊下入口

うぐいす廊下

鴬張りの廊下です。

武田不動尊

うぐいす廊下先の明王殿に安置されている。

 

 

 

信玄の墓の後にある武田家臣供養塔