京 都 ’05 11月
13日
京都に到着しました。早速駅に荷物を預けて出発。でもコインロッカーが大半使用禁止?
京都の新聞、テレビはブッシュ大統領が入洛の為と報じています。
入洛とはさすが千年の都、江戸からの旅人はここでは"おのぼりさん"。
清水寺
(左)清水の舞台から眺める紅葉 (右)清水の舞台全景
二年坂
*イノダコーヒー清水店さんでコーヒーとケーキを楽しむ。
高台寺
(左)高台寺から八坂の塔を望む (右)方丈前庭、門は勅使門、オブジェはライトアップの為、今年はフランスの作家の作品
(左)方丈から庭園を見る、左の建物は開山堂、右上に見える建物は霊屋(ねねの墓) (右)茶室、左が傘亭、右が時雨亭
石塀小路
(中)建物と建物の間にも石塀小路の入口が
*下河原阿月(あずき)さんで和菓子を楽しむ
祇園
(左) 八坂神社 (中) 一力亭 (右) お茶屋さん、表札は芸妓さんの名前が架かっています
(左) 祇園の裏通り (右) 買物をして店から出て来た本物の舞妓さん、昼間見かけるのは殆んど偽者
3万円ほどで舞妓体験が出来ます、昼間歩いているのは全部この人たち
上の写真は建仁寺、右の竹垣は建仁寺垣で知られる垣根の造り
*京都南座のにしんそば「松葉」さんでこの店が最初に作ったというにしんそばをいただく
錦市場を散策、閉店時間で時間切れ宿に
14日
保津川下り
船は15人乗り、その日の川の流れで40分から2時間かけて渡月橋付近まで3人の船頭さんが操り下ります
(左)後の船が急流にさしかかる (中)舵を取る船頭さん(水戸黄門に船頭の役があると呼ばれるらしい)
(中)吉兆本店 (右)渡月橋から見る嵐山
化野念仏寺
浄土宗で本尊は阿弥陀如来。空海が創設したという。当時は大覚寺所轄の真言宗。当初は五智如来寺と号したが、後に法
然が念仏道場を開いたことから念仏寺と改称された。
現在の本堂は正徳二年(1712)の再建。本尊の阿弥陀仏は堪慶の作品であるという。付近から出土したものを集めた小石
塔は室町期のもが多い。昔、化野では死骸を風葬にしており、空海がその屍を集めて供養したのが始まり。その後、法然に
よって念仏道場に改められた。境内には約8000体の石仏、石塔が建ち並ぶ。
祇王寺
法然の弟子、念仏房良鎮の創立。中世以降荒廃していたが平家物語の遺跡として明治に復興された。
現在は真言宗大覚寺派の尼寺。白拍子の祇王が平清盛からの愛を失い、「嵯峨野奥なる山里に、柴の庵を引き結び念仏し
てこそゐたりけり」と詠み、妹と母親とともにここに庵を結んだ。苔がきれいなお寺。
二尊院
釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を一つの堂に祀っていることから二尊院と呼ばれる。
総門は伏見城の医薬門を移築したもの。石庭の寂光園は浄土をあらわしたものだという。
境内には角倉了以、三条実美などの墓がある。
*「竹乃家」さんで鯛豆腐と懐石をいただく
落柿舎
江戸時代の俳人向井去来の住んだ草庵の跡。芭蕉もここを訪れ「嵯峨日記」を残した所。
(右)前の畑、京野菜の直売もしています
常寂光寺
1596(文禄5)年に日禎上人(にっていしょうにん)が隠棲して開いた寺。
本堂は伏見城の客殿を移築したもの。
参道の両側には紅葉が植えてあり、秋になると美しい紅葉のトンネルになる、京都屈指の紅葉の名所。
野宮神社
黒木鳥居と小柴垣が平安の風情を現在に伝える、源氏物語、謡曲野宮でも有名な神社、
嵯峨野巡りの起点として知られ、えんむすびの神様、子宝安産の神様です。
天龍寺
臨済宗天竜寺派総本山。一時は京都五山一位。以前は150以上の塔頭が建ち並んだが応仁の乱で衰退した。
嵐山と亀山を借景にし、曹源池(そうげんち)や白砂、石組みを配した池泉回遊式庭園が有名。この庭園は開山の夢想国師
の作庭と言う。
「池泉取入れ型が京都の庭園の原型とすると、第1の刺激が「末法思想」であり、第2の刺激は「禅」であった。
末法思想は刺激と読んでいいが、禅はカルチャーショックに近いものだった。少なくとも庭に関してはそう言える。
末法思想による浄土庭園は「原型」プラス仏教でありやはり池泉回遊式が多かった。
それが禅庭になるとまったく異なってきて、水の変わりに白砂を敷き、大岩を配する枯山水となる。
このころ開山され、作庭された禅寺の庭は多くが枯山水であったが、個人宅の庭では池泉式に、「浄土思想」を加
えたものと、禅庭とが混ぜ合わされた。禅寺の代表的なものとしては、竜安寺の石庭や天竜寺庭園があり、
混合型には金閣寺、銀閣寺が上げられる。」京都の庭園より
(左)大方丈前庭 (右)曹源池
(左)曹源池から嵐山を望む、所謂借景の典型的な庭園
15日
仁和寺
仁和4年(888年)にその造営を完成、「仁和」の年号をもって寺号と定められ、大内山仁和寺(おおうちやまにんなじ)と呼ば
れるようになりました。応仁元年(1467)に始まった「応仁の乱」によって仁和寺は一山ことごとく焼失。
約100年後の寛永11年(1634年)徳川幕府3代将軍家光の時代になって今日の仁和寺として再興されました。
(左)平唐門 (右)二王門
震殿から南庭を見る、左が勅使門右が二王門
震殿右に右近の橘、左に左近の桜、天子は南面すと言いますから座敷から向かっての右、左ですね。
(左)震殿の後側の庭園 (右)震殿の内部の襖絵
龍安寺
室町時代、応仁の乱に焼亡した細川勝元の山荘を、明応八年に、その一子政元が義天禅師と協力再興した。
その時作庭したと思われる。方丈の前庭を初めて庭園に開発し、枯山水を確立した創意、七五三配石技術の妙、
大徳寺大仙院と対照的に石庭の最高峰と称えられる庭園。
京都を代表する石庭として広く知られ、白砂の上に配置される大小15の石はどの位置からもすべてを一度に見ることが出
来ないと言います。
方丈の前庭、石庭で知られる庭園。あまりに有名なのでこれだけで。
苔も見事
鏡容池、西源院はこの畔にあり湯豆腐が食べられる。
*いただきました。
金閣寺
ブッシュ大統領見学の前日に金閣寺を拝観
代表的な池泉回遊式庭園、鎌倉時代の創建当初の原形がよく保存されている一流の名園と言います
金箔の建物にばかり目が行ってしまいがちですが、庭園は素晴らしい
*紀宮さま・黒田さん結婚式の日です。引き出物の金平糖を「緑寿庵清水」で並んで買う
*その足で一澤帆布に立ち寄りお買物
*鴨川べりのリバーバンクさんでコーヒーを飲む
三条大橋
(左)遠くに大文字を見る (右)橋のたもとで弥次さん喜多さん(銅像)に会う
青蓮院
ライトアップの名所と言うことで見に来ましたがまだちょっと早かった。
マスコミが持て囃すほどの物ではないかも。
*ライトアップまで時間があったのでレストランMIYAKOで食事
16日
真如堂
坂がきついけれども、知る人ぞ知る紅葉の名所
銀閣寺
天下第一の名園と称するだけの事あり、さすが銀閣、池泉回遊式庭園と別に砂盛の傑作
「足利義政が文明14年より数年にわたり造営,善阿弥など当代一流人の作庭、東求堂内同仁斎は、室町書院の代表であ
る。その前庭は当初の作庭が保存されているが、元和元年、宮城豊盛が大半を改修した。銀沙灘、向月台の砂盛は新鮮な
美の極致である。」日本庭園の美より
(中)東求堂前から、向月台、銀沙灘の向こうに銀閣(観音殿)を望む
(中)(右)錦鏡池
銀閣寺垣
哲学の道
*途中茶店「二三麿」さんでみたらし団子と自家製わらび餅をいただく
陽気で変ったお母さんのやっているお店で店主の創作お守り”こけへんおまもり”300円を購入ご利益のほどは不明
たいていの商品がオリジナルと思われますがかなり怪しいものだらけ
直ぐ後からやって来た外人さん17名の団体でお店はてんてこ舞い、帰るに帰れず長居する
永観堂
紅葉の永観堂と言われる屈指の名所、でも素晴らしいのは紅葉だけではありません。
みかえり阿弥陀を拝観、三鈷の松、悲田梅、建築物など見所多数
南禅寺
(左)石川五右衛門で有名な三門
(左)水路閣 (中)(右)方丈庭園(小堀遠州作、禅院式枯山水の名庭。小堀遠州の作庭ではないと言う説もありますが)
大名庭園の形を確立したのが、小堀遠州。江戸時代初期には、この遠州初め個性的な作庭家が輩出したと言います。
彼らの庭は池泉あり、浄土あり、禅あり、茶ありだがどれにも縛られず自由な発想の日本庭園を造ったそうです。
南禅寺塔頭金地院庭園は小堀遠州の代表作と言われますが今回は時間切れで回れず。次回見たいな。
*錦市場の八百屋の二階(店の名前です)で京野菜のおばんざいをいただく。
店先でつまみ菜のような野菜を見つけ、これは何ですかとお店の方に訊ねると、ニンジンを間引きしたものとの事。
京都は「しまつ」ですとおっしゃる。しまつとは京言葉で後始末、ものの生命を大事にすること。本物の味、
ものを粗末にせず、使い切る心。
京文化が育んだその心根を衣・食・住に活かした“質素にして贅沢な暮らし方”の意味のようです。
旅行から帰って調べてみました。お話されたこの方は、やお屋かね松店主上田耕司さんでした。
京都では大変著名な方のようです。
著書も多数あり、その略歴によると「1947年京都市錦生まれ。同志社高校より京都大学農学部農林経済学へ進み1971
年卒業。同時に家業錦かね松を継ぎ、(株)かね松老舗・(株)京野菜を設立。京都府・奈良県農業アドバイザーとなり、農
水省その他農業関係の講演多数。(財)農村問題調査研究会理事。」とあります。
皆さんもお店でこの方を見かけたら、お話を伺うと楽しいですよ。
17日
下鴨神社
*叡山鉄道に乗る前に出町ふたばさんの名代豆餅をいただく
貴船神社
(左)春日燈籠の並ぶ参道
貴船神社下の旅館、夏はこの川で川床料理が楽しめると言います。
*貴船喜楽で川魚料理をいただく
鞍馬寺
叡山鉄道で紅葉のトンネルを行く
知恩院
左甚五郎の残したと言われる忘れ傘
円山公園
小川治兵衛作の庭園
「明治時代の庭園は、江戸中期から起こった自然風景主義的な庭園の集大成の時代でもある。
特に京都の小川治兵衛(植治)の創作した庭園は、対流山荘をはじめに、南禅寺界隈に多数ある。たとえば山県有朋の別荘
であった無燐庵や野村碧雲荘、細川別邸、など南禅寺界隈のいわゆる高級住宅地に散在している。
この植治の作品は独自の世界を築いており、これはこれで非常に技術的にも傑出したものを持っているが、後にこの作風を
取り入れたものばかりが日本中にあふれ、そして未だにそこから決別出来ていないのは、日本庭園の創作意欲に対する堕
落でもある。」 日本庭園の美より
先斗町
(左)おはしょりをして歩いている芸妓さん (右)路地の切れ目から鴨川の向こうに京都南座が見える
祇園にある、お好み焼きの元祖といわれている壱銭洋食で壱銭洋食をいただく。
祇園のど真ん中まさに怪しいお店でした。
*夜は祇園の「おかる」さんでうどんを楽しむ。歌舞伎で名高いおかるさんの住居だった所だそうです
でも今はおかるビルになってました。
出前の岡持ちがクラシック
*宿に帰る前、今回参考にした京都ガイド「京都うらみちあんない」お薦めの、宿の近くの嵯峨嘉さんで和菓子を買い
部屋で食べる。
18日
東福寺
(左)通天橋 (右)通天橋から見る紅葉
「臨済宗慧日山東福寺は、同派の大本山である。創建は延応元年(1239)で関白九条道家によって着工が進められた。
道家は時の関白九条兼実の孫、後京極摂政良経の子であり、本寺は九条家の邸宅一切を寄進して造営され、洪基を奈
東大寺、盛業を興福寺につぐものとして東福寺と命名された。
本庭は非常に荒廃していたため、年昭和14年に永代供養(御奉仕)という形で作庭された。方丈建築を中心として、
南庭、北庭、西庭、東庭の四つの部分からなり、南庭には蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の石組と、五山の築山を構成し、
北庭には勅使門内にあった敷石の廃物利用による市松の庭、
西庭にはこれも廃物を利用した井田式の庭、東庭も東司にあった柱石の一部を使った廃物利用で、北斗七星の庭としてい
る。このように蓬莱、方丈、瀛州、壺梁、五山、市松、井田、北斗七星の八つの庭園構成により八相の庭と命名された。
この作品は戦前に設計されたにもかかわらず、非常に意欲的な作品であり、未だに現代の庭園以外の創作家達にも多大な
影響を与えている。」日本庭園の美より
設計は重森三玲、現代日本庭園の最高峰の一つ
(左)方丈庭園井田市松
(左)(中)方丈前庭(南庭) (右)西庭、廃物を利用した井田式の庭
(左)(中)北庭、勅使門内にあった敷石廃物利用による市松の庭 (右)東庭、東司にあった柱石を廃物利用した北斗七星
竜吟庵
「東福寺塔頭竜吟庵は、南禅寺の開山である無関普門大明国師の塔所でもある。ここの方丈建築も国宝であり、建築が素
晴らしいものの、庭らしいものがなかったために、昭和39年作庭寄付金を重森三玲が奔走してかき集め、作庭に至ったの
である。戦前から昭和30年代というものは、どこの寺も財政的に苦しく、このような形で作庭されたところが多いのである。本
庭のテーマは本庵の竜吟からとり、竜が大海中から黒煙に乗って昇天するというものを抽象的に表現したもので、中央部に
竜頭の石と角二本の石を組み、胴の各石は海中に円形を描いてわだかまり、その間に黒白の砂紋による海波と雲紋とを織
り交ぜた構成で表現されている。今までにはない非常にモダンなデザインであり、完成後すでに30年以上たっているが、デ
ザイン意匠は色褪せることなく、更なる輝きを持って、すでに現代の古典となり、重森三玲の目指した永遠のモダンの領域に
はいっている。」日本庭園の美より
*お昼に京都伊勢丹のパスタのお店でランチ998円の価格が面白い、味は良いよ。デパートの中のお店でも侮れないのが
京都です。
西本願寺
*今日は宿で創作懐石をいただきました
19日
二条城
建物内部の襖絵は狩野探幽を始めとする狩野派のもの。国宝級がずらりで当然撮影不可、素晴らしい
(左)東大手門 (右)唐門
(左)(中)二の丸御殿 (右)二の丸庭園、小堀遠州がかかわったと言われる名庭園
二の丸庭園
(左)本丸櫓門 (中)内濠 (右)本丸庭園
(左)本丸御殿
(左)(右)天守閣跡から見る (右)本丸御殿の門
清流園、池泉回遊式庭園と芝生主体の西洋庭園の国賓・公賓の接遇場所として1965(昭和40年)に造られた
現代日本庭園
町屋
*(右)の本家尾張家さんでお蕎麦をいただく
この造り、店前にはお迎えの高級車・ハイヤーがずらり、写真の車はキャデラック
でもお蕎麦は600円位から楽しめます。
*イノダコーヒー本店さんでコーヒーをいただき、いよいよ帰途に
京都のお店の偉いところは、2人連れでも 4人掛け以上の席に積極的に案内してくれる
しかも、混んで来ても相席にはしない
京都はどんな名店でもほとんど価格はリーズナブル
和菓子の名店でも一個 150円〜200円
コーヒーだって豪華な造りのイノダコーヒーさんが一番高いけれど 420円、他の店は 400円以下でした
店の入口にメニュー(価格表)など無いお店が大半でも気軽に入れます
和菓子屋さんにいたっては、のれんが下がっているだけでお菓子のサンプルすら店前にありません
東京も見習え、千年の都の重みに完敗情けない。
京都駅
大きなクリスマスツリーに飾られた京都駅。今回の旅の終着点です。