イタリア ’07 1月
旅行会社の定番ツアーを利用してイタリアを廻ってきました。
17日
午後便でゆっくりと成田を出発、直行便でローマに。JALのアリタリア航空コード・シェア便ですが、機材がおんぼろで大丈夫
かな? 夜ローマ到着、ホテルに。ホテルまで案内するイタリア人女性が付いてくれます。なんと親切。
と思ったら、後々分って来るのですが、この国はそれぞれの職域が厳格に細分化されているようで、観光地の案内人はその
資格を持った人でなければやってはいけない、観光ガイドが日本語をしゃべれなければ通訳をつけなければいけない、道案
内も案内人でなければいけない等ややこしい事になっているんです。添乗員さんが観光ガイドをすれば大変な額の罰金と厳
しい罰則が課されるんだそうです。ラテン系の皆さんはとても規則など守るような人達ではないように見えますが、高額の罰
金となるときっちり守るんだそうな。禁煙法もそうですね。屋内で喫煙すると、目の玉飛び出るような罰金を食らうから守るん
です。観光ガイドは国家資格で、最近やっと外国人にも門戸が開放されて、日本人の有資格者が出て来た段階なんだそうで
す。国家試験に合格しているだけに、ガイドさんの見識の深さには常に感服させられました。就業時間も厳しく制限されてい
て、時間ぴったりに終了となります。サービス残業なんてもっての外のようです。終業時間は彼らの帰る時間、つまりオフィス
なり店舗を立ち去る時間を意味するようで、帰り支度の時間も含まれているんです。午後6時閉店といったら、その前にどん
どん客を追い出し、消灯してしまうんですから。
18日
ローマ観光
朝7:00 から慌ただしく朝食を摂る。オレンジ・ジュースが美味しい。ジュースには赤とオレンジ色の 2 種類あります。この日
は赤いのは何か他のフルーツと思っていたんですが、後から、赤いのもオレンジ・ジュースと聞かされました。色の違いは切
って搾らなければ分らないんだそうです。どこにでも登場するこのフレッシュ・オレンジがとても美味しいんです。BAR(バール
と呼ばれる喫茶店・軽食・アルコール類のお店)に行くと、目の前でオレンジを搾って造ってくれます。エスプレッソ・コーヒーも
さすがに本場、どこで飲んでも美味しいです。マックでもコーヒーは本格派の味が楽しめました。マックもイタリア中至る所に
有りました。公衆トイレのほとんど無いイタリアでは、このBARが公衆トイレ代わり、エスプレッソ一杯が 1 ユーロもしないん
で、トイレチップを払うよりコーヒーが楽しめる分だけお得です。
朝 7:30 ホテルを出発、バチカンに向かう。
バチカン美術館とシスティーナ礼拝堂
午前9:00の予約で、まずはバチカン美術館を見学
システィーナ礼拝堂でミケランジェロの最後の審判、天地創造を鑑賞。システィーナ礼拝堂内部は写真撮影禁止。この後訪
れた美術館も全て写真撮影禁止で残念。街中の彫刻もレプリカばかりで本物は美術館で保護されています。写真撮影の出
来る傑作はサンピエトロ寺院のミケランジェロのピエタ像だけでした。
システィーナ礼拝堂内で鑑賞、しばし瞑想。システィーナ礼拝堂内部と最後の審判、天地創造は絵葉書でお持ち帰り。
フレスコ画で描かれた傑作。古代ギリシャ、古代ローマ、またルネッサンス期に盛んに描かれたとされる技法で漆喰の壁に
顔料で描く手法だそうです。イタリアでは歴史の重みを感じさせる、このフレスコ画にお目にかかる機会が大変に多かった。
ポンペイの遺跡の壁画もそうでしたし、ベネチアのドゥカーレ宮も見事なフレスコ画で描かれていました。
サンピエトロ寺院
イタリアは禁煙法が実施され喫煙が出来ないと聞いていましたが、だめなのは室内だけ、屋外は野放し状態、サンピエトロ寺
院前の広場ではバチカン市国の女性警官もスパスパやってます。添乗員さんはバチカン市国の警官を見たのは初めてだと
言ってました。バチカン市国警察はローマ市の警察とは別にあるらしい。室内だと大変な額の罰金を取られるそうですが、全
くのザル法ですね。街中吸殻だらけで汚いこと。罰則が無くても日本の方がよっぽど厳しい。
サンピエトロ寺院を見学。4世紀コンスタンティヌス帝の命で着工されたカトリックの総本山。16世紀に大改修が行われ現在
の姿になったと言います。
ローマ法王の居られる所だけに荘厳な雰囲気に包まれた立派な寺院です。下の写真はバチカン市国、サンピエトロ広場から
のサンピエトロ寺院。
ローマ市内から見るサンピエトロ寺院
ミケランジェロ23歳の時の傑作ピエタ像を見る。
昼食はペンネの3色ソースの盛り合わせと野菜サラダ。量は日本人向きの少なめ。ごくごく普通の味。
12時頃のレストランは我々だけでがらがら。気分良くお食事。
と思ったら、この国のランチタイムは13時〜13時30分ぐらいから始まるんだそうで、しかもゆっくりと食事されるそうです。
夜のディナータイムも早くて午後7時30分ぐらいからでこれまた遅くまでお食事をされるそうです。
よって、我々は日本時間で昼、夕食を摂りましたので、何時もがらがら状態のお店で。もし他にお客さんがいれば、日本人か
中国、韓国の皆さんだけでした。イタリアのお店の方々には、開店時間を頼んで早くして貰っている場合が多い訳ですから、
なんともご迷惑なお話ですね。いつでも開いているのはBARというやつで、日本人には便利です。
ローマ帝国の遺跡
まさに街中が遺跡、行く先々に遺跡群が。下の写真はその一つ。ヨーロッパは歴史的な暖冬で、空には入道雲が湧き、草は
青く、田園には菜の花が満開、ミモザも開花していました。この日も気温は 20℃ 近くまで上がり熱いぐらいの陽気でした。
下の写真はその一つです。左上の白い建物の右に見えるのが地中海松。レスピーギの交響詩「ローマの松」で知られるこの
地方の松の木です。ラツィオ州ならどこでも見られる赤松の一種だそうです。一本の幹に途中から3本以上に枝分かれし、笠
の様に枝葉を張っている姿がとても美しい。剪定をしないでも自分で形をとると言ってましたが、若干剪定した後が見られる
ように感じましたけど。
コンスタンティヌスの凱旋門
コロッセオ
ティトゥス帝時代の 紀元 80 年 頃に造られた巨大円形競技場。
この時代の建造物ながら、開閉式の屋根を持っていたそうで、現在あるドーム球場に匹敵するもの。古代ローマ人は凄い。
コロッセオの周りには、剣闘士の装束に身をつつんだ男達が観光客と写真を撮ろうと誘っています。撮ったら法外な金額を
取られるそうです。こわいこわい。剣闘士とは昔のチャールトン・ヘストン主演映画「ベン・ハー」の世界ですね。見たこと無い
ですよね、遠い昔のお話ですから。
トレビの泉
おなじみの観光地。狭い広場は観光客で一杯の大賑わい。我々もコインを投げ入れてお願いをする。ジェラートを早速楽し
みしばし休憩。小さいサイズでも食べ切れない位沢山あります。アイスも 2 種類は容れてくれて 2ユーロ (300円ちょっと)
安いです。頼む時小さいのはピッコロと頼めば通じます。可愛らしい言葉ですね。ここにも剣闘士の装束に身をつつんだ男達
がうろうろ。他のツアーで、騙されて一緒に写真を撮ってしまった日本人観光客が追い掛け回されて添乗員に泣きついていま
した。すり置き引きだけじゃないんですね。
スペイン広場
スペイン広場の階段。正面の道がブランド街。ここにもまたまた剣闘士の装束に身をつつんだ男達がうろうろ、油断も隙もあ
りません。沢山の観光客が階段に座って広場を眺めていました。我々もその中の一人になって夕暮れのスペイン広場を暫し
楽しむ。
フォロ・ロマーネ、サンタンジェロ城、ベネチア広場等を車窓から見学、今日もローマのホテルへ。
夕食はホテルで、豆類のスープ、パスタを前菜に、鶏料理がメイン。鶏がぱさぱさでがっかり。この国ではパスタは前菜のよ
うです。ウェイターさんにピッコロと言わなきゃ大変な量のパスタが出てきます。それだけでお腹一杯になってしまい、メィンデ
ィッシュに進めません。ちなみに沢山はタントタントですが、使う必要などあるわけ無し。飲物も小はピッコロ、大はグランデ。
ワインのピッコロは店によって違いますが、一番小さかったので 250ml のデカンタか 375ml の4分の1ボトル。500ml の
デカンタが一般的のようでした。グランデはもちろんフルボトルです。グラスワインなんてどこにも有りませんでした。ビールは
この国の人達はあまりお好きではないようで、ピッコロ、グランデは日本の感覚でOKかな。ドイツ、フランスではピッコロが大
ジョッキぐらい有りましたから。ともかく文句なしにワインは美味しい。ハウスワインで充分楽しめました。
19日
朝 7:30 ホテルを出発、ポンペイに向かう。230キロのバスの旅です。車窓から見る丘の上に地中海松の並木が続き、日
本では見られない景色が続きます。緯度は函館辺りと同じと言いますが、椰子の木が多く見られますし、南国の雰囲気です。
日本だと宮崎辺りかな。
ポンペイ・ナポリは更に南の国。椰子の木、ゴムの木も多くなり、レモン畑が目立ちます。個人の家の庭にもレモンが植えら
れているようです。バージンオリーブオイルに自分でフレッシュレモンを搾りかけたのがドレッシング。この後も日本で市販さ
れているお馴染みのドレッシングは出て来ませんでした。生野菜にオリーブオイルがかかっているだけが、当たり前のようで
す。これに塩・コショウをお好みで加え、自分で味付けするのが一般的のようで、更にオリーブオイルを足しましょうとオリーブ
オイルのボトルが出ている事はあっても、お酢がテーブルに出ている事は有りませんでした。酸味は生レモンなんですね。バ
ルサミコは料理に使うのかな?。イタリア人はパンにもバターではなく、オリーブオイルをつけて食べるんだそうです。確かに
オリーブの新鮮な風味がパンに滲みこんで美味しいですね。バージンオリーブオイルの風味が日本で購入するものとは全然
違います、本当に美味しい。グリーンのオリーブは早摘みの実で、黒いオリーブはその後の熟れた物なんだそうで、一番摘
みのグリーンのオリーブの漬物は、それはそれは美味しいとか。
ポンペイで昼食。前菜にボンゴレスパゲティをいただく。日本人向きに量は少なめ、アサリは日本と同じ味ですね。平凡な味
でした。むしろ後に出たイカと小海老のフライが美味しかった。
ワインはいわずと知れたラクリマ・クリスティがワゴンに積まれて登場します。日本でも良く知られたこの地方のワインです
ね。ドライブ・インのお土産店でも売られていました。大きな都市のエノテカで買えば良いだろうとこの地方で買うのをパス。
これが大変な過ちである事にまもなく気が付く事に。フィレンツェで旅雑誌に掲載されているエノテカに立ち寄りキャンティを購
入、ラクリマ・クリスティもお土産には手頃と捜せど見当たらず。そのちょっと前に添乗員さんの「イタリア人は自分の地方ワイ
ン、自分の家の(店の)ワインが最高と言う思想です。そして、どんな安いハウスワインでも美味しいし、彼らに美味しいワイン
は何?と聞けば、自分ちのワインと答える。」と言った言葉が脳裏に。一晩にワイン一本一人で空けるというお方のご意見を
良く聞いておくべきだった。この後も行く先々でその地方産のワインしか置いてないお店がほとんどでした。ローマやミラノの
ような大都会なら分りませんが、デパートなんぞほとんど無さそうな都市が多いのでご注意を。日本で言うスーパー、COOP
は結構どこの地方都市にも有って、こちらはそのへん節操が無く安ければといった感覚で他の地方産ワインも置いてまし
た。価格は 30ユーロ位まででしたら置いてあります。買い忘れたらこの辺が穴場かも。
ついでに老婆心ながらもう一つ余計なお世話を。
イタリアの付加価値税(日本の消費税かな)は食料品、日常生活品等国内で消費される品については税率が安く設定されて
います。おブランド品は 20% の税率で課税されていますから、税金還付(所謂免税)が手数料除きで 13% 程度有ります
が、食料品等については、有りません。ワイン、オリーブオイル、チーズ、ボルティーニ茸、乾燥トマト等は対象外ですし、液体
の機内手荷物の持込が出来ませんから、トランクに入れて持ち帰らなければなりませんので割れても知らん、状態です。エン
ゲル係数の高いグルメ家族をお持ちのご家庭には免税の特典はございません。念のため。
ポンペイの遺跡
遺跡入口付近。糸杉の下に城壁のように見えるのは、船着場跡で、かつてここまで海だったそうです。現在の海岸からは数
キロは離れていますし、結構坂道を上ってきましたので、かなり高いところにあります。
神殿跡。左手の低い塔は日時計だそうです。紀元前8〜7世紀から続く都市に時計が有ったのは驚き。
公共広場跡。奥の山がベスビオ火山。
商店街跡。(左)左右に商店が並んでいた。一店舗の面積は10〜20坪ぐらいです、狭かったんですね。パン屋のかまど跡
や飲屋のカウンター跡もちゃんと残っています。
(右)大通り跡。飛び石のように出ている3個の石は横断歩道で、真ん中を馬車が通るように出来ているとか。馬車の車輪も
馬も真ん中の石の両脇の低い部分を通ったと言われますから、馬は二頭立てなのだそうです。
(左)水飲み場。彫刻の施された口の部分から上水道が流れていたらしい (右)浴場。火山国なので湯船に浸かる習慣が有
ったようで、水風呂と熱い風呂が残されています。
かなりの富豪の邸宅内部。漆喰壁に「ポンペイの赤」として有名な赤色等で彩色された壁画が残っています。フレスコ画のか
なり古い時期のものですね。色もかなり鮮明に残っているのに驚かされます。左の写真は牛です。右の写真は解かりにくい
ですが街並みに憩う人を描いています。
(左)円形劇場の観客席 (右)運動広場。後方に糸杉が見えます。
遺跡の向こうにベスビオ火山を望む。雲も無く山の全容が望めました。ラッキー!
ナポリ
すり置き引きが横行して危険なので車窓から観光。旅行会社のツアーで歩いて市内観光を実施している所は無いと言います
から余程ひどいんですね。でも現地ガイドさんはナポリ在住の女性で街の中で下車して歩いて帰って行かれました。
(左)王宮 (右)市街
ここで数分だけ下車して写真タイム。カメラ以外持って出ないようにと念の入ったご指示を受けて車外に。
(左)サンタルチア港、後方の山がベスビオ火山 (右)卵城
サンタルチア港に沈む夕陽
再び230キロのバスの旅、ローマに戻り市内で夕食。ローマ風のピザ生地の薄いピッツァを賞味。日本人向きにアレンジさ
れていない、でかいピッツァが出て来ました。宅配ピザの大きいサイズが一人前ですね。殆んどの人が完食出来ず。それで
も若者の何人かが完食、お店の皆さんに日本人が全部食べたと感激される。生ハム等色々の具がのった美味しいピッツァ
でした。初めてイタリア料理を食べた気分になりました。
20日
朝 7:30 ホテルを出発、ローマとは今日でお別れ。フィレンツェに向かいます。アリベデルチ・ローマ!!
バスはトスカーナ州に入ります。トスカーナ州はワインの美味しい地方。キャンティに代表される美味しいワインが飲める州で
すね。ブルネッロ・ディ・モンタルチーノはさすが高級ワインだけに、65ユーロ以下は見当たりませんでした。高くて買えないで
す。ブドウ畑が続く道をやってきました。また地中海松に替わって、糸杉が多くなってきます。道の両側は菜の花が満開。1月
じゃないみたい。下の写真はトスカーナの典型的な風景。糸杉と真ん中の斜面にはオリーブの木が見られます。
275キロのバスの旅の後ミケランジェロ広場に到着。トスカーナ州の大きな町フィレンツェに入ります。
下はミケランジェロのダビデ像。頭の部分に太陽が射しています。丁度お昼時。像はレプリカです。
下の2枚はミケランジェロ広場からのフィレンツェの街
市内に入る手前で観光バスが停車。運転手さんが事務所に入り、市内立ち入り料を支払います。
これが不思議な制度で、市内立ち入り料金と言いますか、滞在料と言いますかイタリア人は何を考えているんでしょう。
添乗員さんの話では、イタリアはやかましい外国の観光客に来てもらう必要は無いとの理由で近年、観光バスから高い市内
立ち入り料を取る制度を作ったんだそうです。バチカンへの巡礼者の受け入れだけで充分と考えているらしいんです。この制
度導入により、まず、けちのドイツ人観光客のバスによる入国が激減したんだそうで、彼らは列車(ユーロスター)でやって来
るようになったんだとか。ツアーではこの後もベネチアで支払ってました。ローマ・ミラノはその形跡が無かったので、詳しい事
は解かりませんが、都市によるみたいです。これも成り立ちが都市国家の国だからかも。この制度に限らず、美術館入場に
もそんなイタリア流の感覚が見られるようです。「最後の晩餐」が予約制になり、一回に15人で15分間しか見られなくなった
のもこの辺りに理由があるようです。映画ダヴィンチコードのせいで鑑賞希望者が増えすぎたのが理由では無いらしいので
す。現に最近ウフィッツィ美術館も予約制となり入場が大きく制限されるようになったと言います。野放し入場で一日 2万人
の見学者が予約制に移行してからは一日 2400人 と言います。観光収入、美術館の運営と言う視点からは大減収なんで
すから。添乗員さんは観光業の立場での意見とは思いますが、ある部分当たりかも。けちのドイツ人とは失礼な言い方かも
しれませんが、添乗員の彼女は学生時代ドイツに留学されていたそうですから、ゲルマン気質を理解している方なのであえて
失礼ながら引用させていただきました、ご免なさい。
昼食はレバーのクロスティーニを前菜にペンネのクリームソースをいただく。レバーのクロスティーニは小さいパンを焼いた上
にレバーペーストを塗ったもの。3種類の味のペーストがありました。
ウフィッツィ美術館
イタリア人はルーブル美術館、エルミタージュ美術館と並び世界の三大美術館に挙げるとされる、美術館。もちろん撮影禁止
ですから画像がありません。ポッティチェッリのヴィーナスの誕生、ダ・ヴィンチの受胎告知等名画の数々を鑑賞。絵葉書をご
覧に入れるなどおこがましいので割愛。ラファエロのヒワの聖母はここ数年来本物ではないんだそうでがっかり。
シニョーリア広場
下の写真はネプチューンの噴水。この右側の建物ヴェッキオ宮殿の前にはミケランジェロのダビデ像が有りますがやはりレ
プリカです。
ドゥオモ(花の聖母寺)
永遠の都ローマに対して、花の都フィレンツェ(フローレンス)と呼ばれる由来となった花の聖母寺に。1436年の建築。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の入口
巨大なクーポラ
大聖堂の向かい側、サン・ジョヴァンニ洗礼堂(1336年の建築)のギベルティ「天国の門」。これもレプリカ。
ヴェッキオ橋
メディチ家礼拝堂(残念ながら修復中で幕に大半覆われていました)等を自由散策。
旅雑誌に掲載されているエノテカ・アレッシに立ち寄りDOCGのキャンティを購入。
このお店で添乗員さんの今日の一言がまたまた脳裏に。バスの中で「トイレをコンコンと叩くのはこの国では早く出ろの意味
です。入ってますかじゃ有りません。下手すると相手を怒らせます、ご注意」の言葉が現実に。
時間は午後6時ちょっと前、お店のご主人と思われるお方が奥の電気を消して、店内で品探しのお客さんの前の壁を「コンコ
ン」。閉店時間、いやいや、お店の皆さんの帰る時間なので早く出ろの合図なんですね。この国で閉店時間は店の片付けが
終わってお店の人が退出する時間を言うんだそうです。営業はその前に終了してしまいます。
夕食は中華料理イタリアスタイル。お皿が一枚しか出ない。替え皿無しがイタリアンスタイルだそうな。
近郊カレンツァーノのホテルに一泊。
21日
ホテルをちょっとゆっくりめに出発。朝食を初めてまともに摂る。
小雨の中、ピサに向かいます。
ピサの斜塔
雨も上がり、塔の上から眺めるピサの街が下の写真。
修復工事後の、2001年から搭上に上れるようになっています。
下から見るとこんな感じ。お馴染みの風景です。1173年に建設が始まり、1350年に完成したピサ・ロマネスク様式のドゥオ
モの鐘楼。ピサ・ロマネスク様式は回教美術の影響を強く受けていると言います。
ドゥオモ
1063年に建設が始まり、13世紀に完成した建物。ピサ・ロマネスク様式の最高傑作。
洗礼堂
昼食はピサのレストランで前菜にラザニアを頂く。メインのイカと小海老のフライが美味しい。この料理は2回目ですがオリー
ブオイルでさらっと揚げたもので、日本人向き。
ピサを出発していよいよベネチアへ。ピサから先は深い霧となり、明日の天気がやや不安。北から寒気が南下してミラノは寒
いと言っています。
トスカーナ州を離れる前にお土産屋さんでワインのバローロを購入。
ベネチア本島手前のメストレのホテルに。夕食はホテルで。前菜にパスタ。メインにサーモンのステーキでした。
22日
ホテルで朝食後いよいよベネチア本島へ。
例の市内立ち入り料を支払い、バスで橋を渡り、水上バスに乗り継ぎベネチア本島に渡ります。
ラグーナ(干潟)の上に、5〜6世紀から一千年栄えた共和制の都市国家。水の都に到着です。
サンマルコ広場の近くの船着場で下船、サンマルコ広場に向かいます。自動車の乗り入れが出来ませんから交通手段は水
上バスだけの街。陸の上は全て徒歩。前方に見える寺院はサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会でバロック建築の傑作。
サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
船着場の対岸、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島にある1610年建築完成の教会。
左手水上バスの右の建物がドゥカーレ宮、高い塔がサン・マルコ寺院の鐘塔。右手の建物はベネチアの最高級ホテル。
溜め息橋
ドゥカーレ宮から続く牢獄に向かう途中に架かる橋。囚人のため息から名付けられた名前だそうです。
サン・マルコ広場
(左)海からの入口に建つ2本の塔。手前の塔には、市の紋章、羽の生えたライオンが乗る。
(右)鐘塔付近
広場の中央部分
ドゥカーレ宮
共和国時代の司法、立法、行政の中枢。ゴシックの傑作。フレスコ画の天井が美しい建造物ですが、内部は撮影禁止。
9世紀の城砦が起源で、12〜15世紀にこの姿になった建物。
サン・マルコ寺院
829年アレキサンドリアから持ち帰られた聖マルコの聖遺骸を祭るために建立された寺院。この建物は11世紀に再建され
たもの。
サン・マルコ広場から見るサン・マルコ寺院の全景。
壁も床もモザイクで装飾された豪華なもの。入口の円柱は色々なところから集められた色とりどりの大理石で出来ています。
下の写真は、大理石を強調してみました。太陽の射し具合で大理石が色んな表情を見せるんですね。明るい色になったり、く
すんだ色になったり。
鐘塔
監視塔と灯台の役目を兼ねていたそうです。
サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮は素晴らしいフレスコ画が描かれています。殊に、ドゥカーレ宮の天井画は、ティントレットや
ヴェロネーゼ等によって描かれた見事なものでした。ダヴィンチの最後の審判、天地創造もそうでしたが、皆撮影禁止で残
念。サン・マルコ寺院の入口壁面のフレスコ画を大きくして、下に載せて見ました。
建物正面の最上部。上に聖マルコ像、金色の羽を持ったライオン、バルコニーに立つ第四次十字軍の戦利品の青銅製の馬
像(レプリカ)、両脇にフレスコ画とベネチアを代表する風景。
べネチアングラスの工房
べネチアングラスはムラーノ島の工房で製作されるガラス工芸品ですが、外国人観光客の為にべネチアングラスの工房を本
島のショップ内に造り、ムラーノ島からマエストロがやって来て実演してくれます。もちろん実演販売となる訳で、日本語を器
用に操るお店の方が冗談を交えてセールスするんです。今回のギャグは「チッチキチー」でした。セール価格で一番安いワイ
ングラスペアが特価140ユーロ也。やっぱり高いよ。
昼食は野菜サラダとイカ墨のパスタ。
昼食後ベネチアの街を自由散策。リアルト橋を目指してお散歩。
街の主要な角には、上の写真のように一階と二階の間に看板があり、サン・マルコまたはリアルトと書かれた矢印が道案内
になります。この道標に従って歩けば、必ずサン・マルコ広場とリアルト橋に辿り着けるようになっています。この道にもサン・
マルコ向こうの道にもサン・マルコと言う看板があっても、どの道標も正しいので、辿って行けば、辿りつけるんです。上の写
真の奥の左の2階から右の2階に洗濯紐が渡されていて、洗濯物が干してあります。ナポリではもうそこらじゅう洗濯物で一
杯でした。通称ナポリの旗と言って有名なんだそうですが、ベネチアにもあるんですね。
建物の下の黒ずんだ部分は汚れでは有りません。海水がその高さまで上がって来ることがあるんだそうです。一番地盤沈下
で低くなった所がサン・マルコ広場の辺りなんだそうで、深刻ですね。
下の写真はリアルト橋と橋の上から眺める大運河。
サンティ・ジョバンニ・エ・パオロ教会にムラーノ島の職人達によるステンドグラスがあると聞き向かいましたが辿りつけず、時
間切れに。サン・マルコ広場とリアルト橋は道標があるんですが、その他は無いんで、どの道も狭い小路と小運河に架かる
橋ばかりで、全く同じ道に見えてしまってさっぱり分らん。
橋を渡ると下にゴンドラが、橋の上ではゴンドラ、ゴンドラと「乗らないか」の声がかかります。
下の写真は途中渡った橋から見えた教会の鐘塔、左に傾いてますね。ベネチアも地盤沈下で、このように傾いた鐘塔が多
いんだそうです。ピサの斜塔もそうですが、真直ぐにしようとはしないんですね。倒れないように斜めのまま補強していくようで
す。それも正解かな。
道はさっぱり分らないんですが、途中のお店でべネト州のワイン、アマローネを購入。
ゴンドラの予約時間が迫ってきたので集合してゴンドラ乗場に。
6人乗りのゴンドラに分乗、まずは狭く橋の多い小運河をゆっくりと進みます。
しばらく進んで、歩いて行ったリアルト橋の手前で大運河に出ます。大運河は観光客を乗せたゴンドラで一杯。
河岸には観光用のゴンドラが並び、古い街並みが続きます。
陽気な船頭さんが船を並べておしゃべり。また橋の連なる小運河に戻り船着場に。行き交うゴンドラの中には、アコーディオ
ン奏者がカンツォーネを奏でたり、ワイングラスをかたむけるカップルがいたりなかなか優雅。ツアー客の我々は定員一杯の
すし詰め状態で、ちょっと悲しいですね。
ゴンドラに乗った後水上バスで逆戻り。ミラノまで 277キロ のバスの旅。
バスで移動中、添乗員さんがおもむろに切り出した言葉は「ベネチアの汚水処理はどうしているでしょう?」でした。
昔は海に垂れ流し、潮が満ちると浮き、潮が引くと沖に運ばれてさようならだったそうです。現在は浄化槽が設置され、定期
的に屎尿運搬船が吸い上げ運んで行くんだそうです。「でも臭く有りませんでした?」と言われると確かに臭かった。やはり汚
水の一部は今も運河に垂れ流しのようで、夏場は臭くて堪らないんだそうです。「最初に言うと気にされる方がいるんで。」と
言われると、妙に納得。
夕食はミラノで、前菜がパスタ。メインはミラノ風カツレツ。カツレツはパン粉が非常に細かいものを使用しており、ちょっと変
わっています。パンが2種類添えられてきましたが、小さいパンはもちもち感があって美味しかった。
最後の宿泊地ミラノのホテルに。フィエラ・ミラノと言う名のホテルにご宿泊。この旅で一番のホテルでした。セリエ所属のユベ
ントスの定宿で、国際見本市会場の前にあるため、ミラノ・コレクション開催時にはバイヤーで一杯になると言うホテルなんだ
そうです。
23日
明け方に大雨。雷鳴が轟き目を覚ます。1月の雷は滅多に無い事だそうで、異常な暖冬のせいでしょうか?
ホテルで朝食後、ミラノ市内観光に出発。
スフォルツェスコ城
ミラノ最大のルネッサンス建造物。美術館にはミケランジェロの最後のピエタが展示されているそうですが、ツアーにつき、
外観だけで入場は無し。これがツアーの弱いところ。
お城を出てから徒歩で、繁華街へと向かいます。
ドゥオモ広場とスカラ座を繋ぐガレッリーア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世アーケード。右下の写真はプラダ本店。
プラダ本店前のモザイク。真ん中のへこんだ所にかかとを入れてぐるっと廻りながら願い事をとなえると良い事があるらしい。
スカラ座
スカラ広場。左がミラノ・スカラ座
ドゥオモ
正面は大理石の磨き出しで修復中、裏手横手からの写真。右の大きな窓はステンドグラスの外側。ノートルダム寺院の薔薇
窓に当たるのかな。
左が中央の祭壇。
下はステンドグラス。パリの寺院に較べてより精緻な絵画風に描かれています。
昼食は前菜にリゾット。その後パスタ。
昼食後オプショナルツアーのコモ湖遊覧に出発。
コモ湖
北イタリアを代表する有名な保養地。著名人の別荘が立ち並ぶ。コモの町は絹織物の産地です。数十キロ先はスイス国境で
晴れていれば、アルプスの山々が一望出来るのだそうです。このツアー初の大雨で残念。
遊覧船に乗り湖上散歩。
(左)ジャンニ・ベルサーチの別荘 (右)ムッソリーニの別荘跡
木立に見え隠れする建物が大女優ソフィア・ローレンの別荘。’かつての’を冠した大女優になってしまったかな。
コモの町のドゥオモ。石を投げれば教会に当たるお国柄だけに、どこに行ってもドゥオモが。
絹織物のアウトレットでお買物の後ミラノに戻ります。添乗員さん、現地ガイドさんの方が我々ツアー組そっちのけでお買物。
夕食は添乗員さんのお奨めのレストランに。ウエイターさんが今日本語を勉強中で「日本語で注文を取るから日本語で言っ
てくれ」との頼みです。日本語で注文。上手上手とみんなで褒めたら上機嫌で大サービスしてくれました。まず日本で言う大皿
料理を皿に盛り合わせてもらい前菜に。野菜をさっと焼いてオリーブオイルをかけたもので、イタリアの野菜が楽しめました。
ナス、ズッキーニ、トマト、名前の分らない菜等です。殊に名前の分らない菜は独特の苦味があって美味しかった。海鮮のパ
スタを頼み頂く。ムール貝、イカ、小海老等盛り沢山の大変美味しいパスタでした。ここでお腹一杯となりメインディッシュまで
進めず終了。白ワインを飲みましたが、微発泡していてビールのように見えました。新酒の時期、国内で消費するワインには
酸化防止剤など無添加なのでこのように微発泡するワインが楽しめるんだそうです。ハウスワインでも本当に美味しい。
下の写真が日本語猛勉強中のウェイターさん。パスタがアルミホイルに包まれてました。
24日
ホテルでゆっくり朝食を頂く。このホテルの朝食がこの旅では一番美味しい。
イタリア周遊最後の日。午後4:30分ホテル集合まで自由時間。勇んでトラム(路面電車)で繁華街へ。と思ったら、反対方
向行きの電車に乗ってしまい、大慌て。景色がどんどん寂しくなって行きます。他のお客さんに聞いたらどうも反対だと言って
いるみたい。下車してタバコ屋さんで聞きましたが英語が通じず苦労します。なんとか停留所らしい所で、少し英語の解かる
男性に遭遇、事なきを得る。イタリアではツアーが利用する店舗では、英語、日本語が通用しますが、一般的なイタリア人に
は英語もほとんど通じません。ご注意、ご注意。パリでは不安そうな顔をしていれば、英語で話しかけてくれたので、高を括っ
ていましたが、イタリアは慎重に。
添乗員さんと、後から出発した連中より若干後れてミラノ市街に到着。添乗員さんと途中で遭遇「誰か反対方向のトラムに乗
った同じツアーの人が居る」と聞いてましたと笑われてしまう。
昨日とは打って変わって青空、昨日行ったドゥオモの屋上に上ってみました。
(左)ガレッリーア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の屋根上部分 (右)ドゥオモ広場
一番高い部分、壁面は修復中。
お昼前でしたが、添乗員さんお薦めの行列の出来る店で、軽く評判の揚げピッツァを頂く、チーズと生ハムともう一種類の二
品を店内カウンターで頂く。どれが揚げピッツァかは、たまたま日本人の他ツアー添乗員と思われる方がいたので聞きまし
た。誰から聞いてきたの?なんて聞かれましたけど。何でも、でかサイズの国にしては、程々の大きさなのが我々には良いの
かも。
ブレラ絵画館
イタリア屈指の絵画コレクションを誇る美術館を訪ねて見ました。15〜18世紀のロンバルディア派とベネチア派の作品が充
実した美術館だそうで、宗教画が多く収集されています。ラファエロの「聖マリアの結婚」、マンテーニャの「死せるキリスト」、
プラマンテの柱に縛られたキリスト」等を鑑賞。同じツアーのご夫婦が一組見に来ていました。絵が好きなんですね。館内は
もちろん撮影禁止。
この美術館辿りつくのに苦労します。スカラ広場で警官に聞くとこの道を真直ぐと教えられ、進めば道が狭くなる一方。不安に
なってまた聞くと、真直ぐと言います。人通りがあまり無くなり、ますます道は細くなる。案内板も、見学者と思われる人の列も
どこにも有りません。たまりかねて人の出入の多そうな建物に入り一階を奥まで行くと、学校のようで講義中でした。入口まで
戻って不安そうにしていると、プロフェッサー風の方がピクチャーと声をかけてくれました。実は、下は美術学校で 2階 が美
術館だったんですね。同じツアーのご夫婦もやっと辿りついたようで、苦労したみたいです。著名な美術館なのによく分らん場
所に有りました。
ホテル周辺に戻り、BARで昼食。スーパーで白ワインとチョコレートを購入後待ち合わせ場所のホテルロビーへ。このツアー
の仲間はみんな真面目で、ビックリする位い時間を良く守ります。時間ぴったりに集合、ミラノ・マルペンサ空港に向かいま
す。小一時間で空港に到着。夕陽に映えるスイス・アルプスの最高峰モンテ・ローザに見送られて、一路帰国の途に。帰りは
JAL の直行便で成田へ。アリベデルチ、イタリア。また何時の日か来ますよ。
写真中央に見える山がモンテ・ローザ。
25日16;40分成田に無事到着。お疲れ様でした。