山形県
山寺(山形市)
08’7月16日梅雨のさなか曇り空の中、新幹線で仙台へ。仙山線に乗り換えて山寺を目指します。途中雨の降り出しそうな
雲行きに傘など用意して1時間のローカル線の旅。面白山トンネルと言うマンガチックな名前の長いトンネルを越えると山形
県に入ります。トンネルを過ぎると一転、真青な夏空が拡がり山寺駅に。川端康成の「雪国」の夏バージョンかな。
駅には展望台があり、山寺の全景が眺められます。ただし電線が邪魔。
山寺ではどこでも電線が写真の邪魔となりました。せっかくの景観が台無しとなる場所も多く残念。
(左)五大堂と開山堂 (右)釈迦堂
天華岩の上は、素晴らしい青空。
駅を降りて正面の山寺ホテルの前をを右に曲がりお茶屋さんの建ち並ぶ道を山寺に向かいます。観光客はちらほらまばら。
観光客の姿がお茶屋さんにはほとんど見られません。皆登山口目指して一目散といった感じです。
お茶屋さんの先にいよいよ登山口が。石段が招いています。
根本中堂(重要文化財)
山寺芭蕉記念館から見ると、正に山寺。
下からの目線では森の中のお寺。見る角度でこんなにも違うんですね。
説明板
(左)一千二百年不滅の法灯 (右)招福布袋尊
橋殿。本来は天皇、宮家人(みやけにん)のみ渡れる石橋と伝えられる。橋の裏側には梵字が刻み込まれている。
(左)清和天皇御宝塔
(右)芭蕉句碑。「閑さや巌にしみ入蝉の声」
この付近では蝉の声が聞こえません。まだ早いのかな。
日枝神社
亀の甲石
(左)御輿殿
(右)こけし塚。由来は不明ながら山寺の街には「日本こけし神社」なる神社が有るそうです。
芭蕉像
左に芭蕉翁右に曽良の像。
芭蕉句碑。「閑さや巌にしみ入蝉の声」の二つ目。
この付近でも蝉の声が聞こえません。やっぱりまだ早いんですね。
夫婦杉
根本には招福祈願の御像が。日枝神社には慈覚大師が植えられた御神木大銀杏があるのですが、民間信仰のこちらの方
が素朴で良い。
宝物殿の前にある真っ白い仏様。
念仏堂
念仏堂横の鐘楼
山門
やっと入口の山門に辿り着きます。
いよいよ石段の上りにさしかかります。奥の院まで千十五段の石段が続くそうです。
姥堂
ここから下は地獄、上が極楽という浄土口。
百丈岩
巨大な岩壁で杉木立に遮られて全体がつかめません。
四寸道
せみ塚
弥陀洞
胸突き八丁、最後の急階段。先が見えないのは本当にしんどい。
仁王門
やっと見えて来た仁王門。見上げる仁王門の下には紅葉が真っ赤、石段途中には青いアジサイの花とまことに美しい。
格子の間から覗いた仁王様。
仁王様の奥では、閻魔大王がお待ちしています。
仁王門をくぐると山頂が見えて来ます。
観明院、性相院、金乗院、中性院の山内寺院が奥の院に上る石段途中に続きます。
途中、山頂売店があるのですが、お店の人は縁台に座って話しこんでいるだけ、商売っ気無し。
売店の上には50坪位の畑(家庭菜園なみですが)があり野菜が植えられていました。お坊さん達が食べるのかな。
山内寺院には何となく生活観が漂っています。お勤めのお坊さん達は何日間かここで暮らしているんじゃないかな。
何しろ毎日本坊から上ってくるのは大変などと勝手に想像。
下の写真は中性院。
胎内堂
石段途中の右手に見える建物が胎内堂。
釈迦ヶ峰の山頂には釈迦堂があるのですが、この場所からは見えません。
釈迦堂
山寺芭蕉記念館から見る釈迦堂。
鳥取県三朝町の国宝投入堂が断崖に建つお寺でテレビなどで紹介されていましたが、この山寺も凄い。
修行の為とは言え、命懸けですね。とても出来ない。慈覚大師開山と伝えられる天台宗の山寺ですが、山岳仏教の行場は
超ハード。京都の青蓮院、調布の深大寺から辿ってまいりましたが、なんとも大違い。やはり総本山比叡山延暦寺にも行か
ねばなるまいと思い至った次第。
五大堂の横手にある大正天皇(当時東宮)が休息された建物。見晴らしが素晴らしい場所にある。
行在所前からの眺め。柵なんぞ有りませんので落ちたら崖下までまっ逆さま。結構危険。
山寺の大目玉の一つ五大堂に辿り着きました。
開山堂
納経堂
五大堂
山寺芭蕉記念館から見る五大堂。右手の建物は開山堂。
五大堂からの眺め。お堂の左手から右手に向かって下のような眺めが拡がります。
街を見下ろす。左手下の屋根は開山堂
山寺の街。正面下が駅舎。
磐可祠
五大堂から奥は修行者のみ入れる。
三重小塔(重要文化財)
華蔵院
三重小塔の奥の山内寺院。
山形城主最上義光公の霊屋
山寺の見所でもないのですが、父方の先祖が最上藩に仕官していたと聞いておりましたので載せました。
最上の殿様は義光公の没後、大名の地位を追われ、父方のご先祖様も秋田佐竹藩に移った為、父の田舎は秋田ですが元
は山形の出らしいんです。
奥の院、大仏殿
左の大仏殿の阿弥陀如来像は、殊に重要文化財でもないのですが撮影禁止。
奥之院内部
鐘楼
金灯籠.
金華山・金比羅山のものとともに日本三灯籠に数えられる、今の山形市の銅町で作られた金灯籠.。
日本三大・・・と言われるものは、自ら日本一では無いと言っているようなもの。でも中々見事。
下山道を下り、本坊へ。
芭蕉翁がこの地を訪れたのは、元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)〜5月28日(新暦7月14日)のこと。我々もほ
ぼ同じ時期にやって来ましたので芭蕉翁の見た景色に近いものがあると思います。
抜苦門手前の池。ニイニイゼミが鳴いていました。山上では気が付きませんでしたがこの辺りでかなり鳴いています。山登り
に必死で聞こえなかったのかも。芭蕉翁の訪れた頃に鳴いていたのもこのセミと考えられるのだそうで名句にピッタリの音響
効果でした。
(左)抜苦門 (右)本坊
下山口の上にある神楽岩。
下山口下のお茶屋さんで昼食。登山口側のお茶屋さんより空いているだろうと思って入ったんですが、丁度お昼時なのに客
は我々一組だけ、店の前を通る観光客もいませんでした。経営は大丈夫かなと余計な心配。店じまいしているお茶屋さんも
見受けられますから本当に心配。
店主さんが芭蕉記念館からの眺めが素晴らしいと聞かされ、食事の後一休みしてから山寺芭蕉記念館に向かいます。
本当は二人とも膝が笑っている状態。
山寺芭蕉記念館
山寺芭蕉記念館から眺める山寺の全景。
天華岩
全景左の山の頂上部の岩。
香の岩
全景左下部の岩。
五大堂、開山堂、納経堂、行在所
全景中央部
百丈岩
開山堂の下辺りの杉木立から少し見えます。
杉木立の木の色が右手が明るく見えますが、色の変る部分に石段があると思われます。
釈迦堂
全景右山頂部
おくの細道に書かれた塩釜〜松島〜一関〜平泉〜鳴子(尿前の関)と見て参りました。尿前の関の山道、更にNHKで最近
見た「おくの細道を歩こう」で紹介された山刀伐峠の峠越え、そして今回の山寺と芭蕉翁の健脚には驚かされるものが有りま
す。忍者説も当然ですよね。
今回は芭蕉翁が訪れた5月27日(新暦7月13日)〜5月28日(新暦7月14日)とほぼ同じ時期に山寺にやって来た訳で、往
時の雰囲気を少しでも味わえたかなと思ったりしました。