トルコ ’09 1月

イスタンブール〜トロイ〜ベルガマ〜エフェソス〜パムッッカレ〜コンヤ

昨年のスペイン旅行でイスラムの文化に興味を持ち、今年はトルコの旅に。

行ってびっくり、イスラムの文化だけではない本当の大トルコ帝国の旅の始まり始まり。

18日

1月18日成田空港をトルコ航空51便14:25発でイスタンブールに向かう。直行便で助かります。

トルコ航空さんはいまどき珍しく、機内用スリッパ、アイマスク、耳栓、靴下、靴べら、歯磨きセット迄サービス、嬉しいね。

今回のツアーは参加人員が6名(夫婦3組)の少人数です。

イスタンブール空港にほぼ定刻18日20:50分に到着、時差は7時間。空港でトルコリラに両替。トルコは円も使えるとのこ

とで1万円だけ両替する。現地ガイドのボラさんと合流、今晩の宿泊場所グランドホテルハーリッチに向かう。グランドホテル

と言うもののビジネスホテル並みの狭い部屋、しかも治安の良くない地区で外出は避けたほうが良いとのアドバイスあり。ツ

アー料金も安かったし、この先やや不安。現地ガイドのボラさんは帰りの空港までずっと同行するそうです。トルコではこれが

普通らしい。勿論ガイド資格は必要とのこと。

バスは30人乗り位の一列 3人掛けレザーシートでベンツ社製の豪華なもの。トイレも付いてます。添乗員さん、現地ガイドの

ボラさんを入れても全部で 8人の旅となります。

 

19日

朝ホテルを出発最初の訪問地地下宮殿に向かいます。イスタンブールは人口 1300万人の大都会で交通渋滞が激しく時間

が読めないとのこと。しかも週明け月曜日。ところがどうしてスムースに地下宮殿に到着。地下宮殿と言ってもビザンチン時

代からオスマントルコ時代までアヤソフィアやトプカプ宮殿の貯水施設として使われたもの。あたかも宮殿のように見えるので

こう呼ばれるらしい。

下の写真は日本で言う日本橋の道路原標みたいなもの。地下宮殿入口のそばにあります。地方への道路の基点となるもの

らしい。地方と言ってもオスマントルコ帝国のいやヨーロッパのひいては世界の道路の基点なんでしょう。掘り下げられた下

の地面が当時の高さだそうです。

 

地下宮殿

アーチとドームはレンガ造り、柱は花崗岩で出来ています。ただしトルコの大地震で崩れた一部の円柱がコンクリートで復旧

されています。

草の葉を想わせるようなビザンチン様式の柱頭。

涙目の円柱。

メドゥーサの首

一番奥の 2本の円柱の基礎石として使われているメドゥーサの首。一つは逆さ一つは横向きになっている。

 

髪の毛が蛇と言うおどろおどろしい姿をしている。

 

ローマ時代の競馬場跡

競馬場跡に建つ手前テオドシウスのオベリスク、後コンスタンチノープルのオベリスク。

テオドシウスのオベリスク

テオドシウス1世がエジプトから運んだと伝えられるもの。60メートルの塔だったが運搬途中で折れ上部の20メートルだけが

ここに据えられたという。

台座には競馬観戦をするテオドシウス1世とその家族、側近が刻まれている。

コンスタンチノープルのオベリスク

コンスタンチヌス7世建てた32メートルの塔。当初は青銅の彫金で覆われていたらしいが十字軍によって剥がされ略奪され

たと言われています。ガイドのボラさん怒。

右下のねじり棒みたいな塔は蛇のオベリスク。

ヴィルヘルム2世の泉

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世がスルタンに贈呈したもの。なんかスルタンから貰った、じゃなくてスルタンにおねだりしたお礼ら

しい。19世紀のもの。皇帝とスルタンの紋章が入ったきんきら金のドーム天井が派手。

ここでトルコの烏を発見。なんとツートンカラーでした。真っ黒いのもいるらしい。

競馬場跡の隣がブルーモスク。こちらは側面。

 

ブルーモスク

ブルーモスク正面全景。

スルタンアフメット1世が17世紀初頭に建てたオスマン様式のモスク。6本のミナレット(尖塔)を持ち内部の青いイズニックタ

イルの美しさからブルーモスクと呼ばれる。オスマントルコ様式建築の最高峰。対峙して建つビザンチン様式建築のアヤソフ

ィアと華やかさを競うように建っています。

入口の門。鎖は人間の背の高さぐらい。スルタンといえども下馬すべしという意味で付いているそうです。

 

 

手足を洗い清める場所。

中庭

タイルが美しい。

右手の柱は4本あり中央の大ドームを支えています。

中央上が大ドーム天井。大ドームを4つの半円ドームが囲む。

大ドーム天井の拡大。

 

半円ドームの拡大。

ステンドグラス

 

 

 

 

 

この辺りはお土産屋さんも数多くあります。売り子さんが絵葉書12枚千円、カシミヤのショール千円などと言いながら寄って

来ます。成る程円が使えるんですね。ボラさんによると日本人の観光コースではこんな調子だそうです。南トルコなどはドイツ

人観光客が多いのでドイツ語で12枚1ユーロなどと言いながら寄って来るんだそうです。

さすがオリエント急行の終点の国際都市ですね。いやオリエント急行の発駅なのかな。

 

トプカプ宮殿

メフメット2世が1467年に建てたオスマン帝国の宮殿。

皇帝の門

城壁

左は外側、右は第一庭園側。

ボスフォラス海峡、金角湾、マルマラ海の接する地点にあり海が望める。

アヤ・イリニ教会

皇帝の門を入り第一庭園に建つビザンチン時代(東ローマ帝国の時代)の教会。

第一庭園から表敬の門を眺める。

表敬の門

第二庭園

厨房

 

左は厨房壁面、右は床。

厨房道具や陶器の展示室があるそうですが、本日は扉が閉められていて見せて貰えませんでした。

ディワンの塔

塔の下の建物は日本で言うと国会議事堂。右手にハレムがありますが今回のツアーには内部見学は含まれていないそうで

見学出来ず。安いツアーだからかな残念。

 

 

ハレム

塔の下辺り。

幸福の門

 

謁見の館

幸福の門を入って正面の建物。

 

謁見の館入口のタイル。

入口横の手洗い場。

ベッドと天井。

床に敷かれていたらしいトルコ絨毯。

建物外壁に張られていたタイル。火災で焼失しこの一部分が残るのみ。

外廊下

建物外観。裏手から。

建物外観。横から。

タイルの拡大

 

学校

現在は宝物館として公開されている。86カラットのダイヤなどは撮影禁止。見るだけです。

スルタンのプライベート礼拝堂

タイルの美しい内部。

 

天井

壁面

 

ステンドグラスとタイル。

 

イスタンブール観光を終えて今日の宿泊地チャナッカレに向かいます。340キロのバス旅の後ダーダネルス海峡をフェリー

で渡ります。

先ずは腹ごしらえと海岸沿いのレストラン「SUR」で昼食。トルコでのお食事のふたあけです。

メニューはトマトスープ、ドネルケバブ(チーズパイ、ライス添え)、バナナプディングでした。

フレッシュザクロジュースがこの時期だけ楽しめるらしく飲んだ方は満足の態でした。店の前にも柘榴が沢山積んでありま

す。日本のものに比べて大きいです。リンゴ大の実でした。

イスタンブール市内を走ります。マンション、住宅の並ぶ大都会。

 

ヨーロッパサイドを走り時間のタイミングを見てアジアサイドに渡るのだそうです。

午後5時丁度にフェリーに乗れる港に到着。ゲリボル港からラプセチ港に渡ります。

フェリー埠頭の夕陽が美しい。

フェリーが行き交うダーダネルス海峡。

 

アジアサイドに到着、いよいよアジア大陸に上陸。

チャナッカレのイリスホテルに宿泊。夕食はホテル内でバイキング。

朝部屋のバルコニーからエーゲ海を眺める。下に見えるのは屋外プール。

トルコのホテルは大抵屋外プール、屋内プール、サウナ、ジムがあり利用は無料と言うサービスの良さ。感激します。

 

20日

ホテルを出発。トロイの遺跡に向かいます。

丘に登る途中の山は山火事で禿山となっていました。ボラさんも山に植林し元の緑を取り戻すボランティア活動をやっている

そうです。ネット仲間240〜50人の小さな団体で活動しているのだそうです。トルコには大きなボランティア団体が幾つかあ

るようですが彼は気の合った小さな団体で活動しているとのこと。(一同拍手)

あの神話で有名なトロイの木馬、ドイツの実業家シュリーマンが発見発掘したトロイの遺跡であります。

ガイドのボラさんの話は大変辛辣。考古学者のシュリーマンは金銀財宝の盗掘者にすぎないと喝破する。盗んだ宝石を身に

着けたのは奥さんで私利私欲の人、貴重な遺跡の破壊者と決め付けるのでした。11にも及ぶ階層に造られた都市遺跡が

爆弾等により破壊され、今では正確な発掘調査の仕様も無い位荒されてしまっていると批判します。

シュリーマンの持ち帰った財宝はヒットラーの敗北の後行方不明となっていましたが現在はロシアの博物館にあるのだそうで

す。トルコの貴重な財産の返還を求めると主張します。

無残に破壊された遺跡で第何番目に造られた都市と解説するのも困難のようでボラさんはガイド説明のしようが無いと言い

ます。彼の抗議の姿勢を示している訳で、我々は遺跡を勝手にぐるっと一回り。なぜか野良犬がガイド替わりにずっと先導し

てくれました。この先の遺跡でも必ず野良犬か野良猫の先導があるんです。餌が欲しいんでしょうか不思議ですね。

 

 

 

トロイの木馬

記念撮影用ですね。

 

昼食はレストラン「BERGAMA」でバイキング。

食事の後トルコ石の宝石店「アガッド」でショッピング。トルコ各地に支店がある有名店。本物のトルコ石を見て目の保養にす

る。目が飛び出るほど高い。

この辺りは金山が多く今も採掘を続けている。下の写真は金山。金鉱石の採掘ガラが山になっている。

 

ベルガマの遺跡

次に昼下がりのエーゲ海など眺めながらベルガマの遺跡に向かいます。

 

アクロポリス

古代都市の遺跡。紀元前4世紀から8世紀ごろまで続いた都市の遺跡です。

アテナ神殿

紀元前4世紀に造られた最も古い神殿跡。

 

 

城壁

 

貯水槽

 

大劇場

(左)観客席 (右)舞台

トラヤヌス神殿

2世紀中頃に完成した神殿。ローマ皇帝トラヤヌス帝に捧げられたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

アスクレピオン

こちらは古代の療養所です。アクロポリスから道が続いていたのだそうですが、街が出来て寸断されています。

入口付近はトルコ陸軍の駐屯地になっています。軍の施設は撮影禁止ですが戦車が並んでいました。

アクロポリスからの道。

表参道と言ったような道。

 

 

プロピロン(前門建築)

前庭のある建築様式だそうです。蛇とお椀の彫刻のある円柱があります。重病人が蛇の毒を飲んで死のうとしたらあら不思

議、病が治ったという言い伝えに由来するものらしい。

 

コロネード(回廊)

イオニア式の円柱の並ぶ回廊。かつては屋根が付いていたそうです。

右の写真は回廊の奥にある劇場。

 

聖なる泉

何の跡か忘れたけどトイレかも。

地下道

聖なる泉と治療棟をつなぐ地下道。

テレスポロス神殿(治療棟)

 

アスクレピオス神殿

 

ローマ水道橋の跡。

羊が遊んでいます。いろんな色の羊さんがいるんです。と言ったって黒、白、茶、グレーぐらいで赤、青、黄色なんてのは勿論

居ませんが。後に国営の絨毯工場で解かるのですが、絨毯の模様に使うんです。

イズミールのアクサンホテルに宿泊。夕食はホテルで。メニューーはトマトスープ、サラダ、鶏肉のグリル、フルーツサラダ。

鶏肉はどこでもそうでしたが焼きすぎでジューシーさが無いです。

 

21日

イズミールはトルコ第 3の大きな街です。トルコは果物が豊富。どこの街にも八百屋さんが沢山の果物を並べています。

野菜は美味しくてキュウリ、トマト、ジャガイモ、ナス、カリフラワーなど美味。

エフェソスの遺跡観光に出発。パムッカレ迄250キロの旅。途中セルチュクの街を通りエフェソスの遺跡に。

ボラさんの主張ではこの辺りがシルクロードの終点であるとのこと。イスタンブールからローマにまで向かう道だったらしいけ

れど隊商宿の跡がこの付近からの道沿いに数多く残されている事からして、主要な街道だったのは確かなようです。50キロ

に一つぐらいの間隔で宿泊していたらしい。エフェソスの遺跡は紀元前3世紀ごろの大きな都市遺跡だしセルジュクトルコ(最

初のトルコ人国家)の首都はコンヤですから、街道が古くから整備されていたんでしょう。

これがシルクロードですよ。地平線の彼方まで直線の道路が続く単調な道。所々に隊商宿の跡があります。らしい雰囲気が

漂っています。

朝霧の中をエフェスに向かいます。

 

エフェソスの遺跡

ヴァリウスの浴場

2世紀に造られたローマ式浴場の跡。

オデオン

小劇場

 

 

集会場跡

国会の議場みたいなものらしい。

ここに方形の集会場があった。手前の土管は上水道と下水道に使われていたもの。

通路跡

ボラさんが地面に書いた復原図。アーチの屋根が架かっていたらしい。

落下したアーチの一部。

歩道にある石、左上の拡大部分に刻まれている丸のマークは古代人が五目並べのようなゲームを楽しんだ跡らしい。

バジリカ(教会堂)

 

 

今日の案内人はボラさんと猫ちゃんです。

プリタネイオン

女神へスタの聖火がともり続けた場所。

 

最上部の文字。

 

 

ドミティアヌス神殿

 

メミウスの碑

紀元前1世紀のもの。

ポリオの泉

 

 

 

ヘラクレスの門

 

 

トラヤヌスの泉

2世紀頃のもの。

中央にある皇帝トラヤヌスの像は足の一部のみ。丸いボールのような物は地球を現していると考えられるんだそうです。地球

は丸いと気付いていたらしい。

 

 

 

ハドリアヌス神殿

138年頃完成した皇帝ハドリアヌスの神殿。

前の門には上部に女神ティケ、後の門にはメドゥーサが刻まれている。

右の写真が女神ティケ。

 

トイレ

 

 

 

石棺

住宅の入口

マゼウスとミトリダテスの門

商業アゴラの南門。

商業アゴラ

左は娼館入口 右は大理石通の壁面

大理石通の歩道の石に画かれた娼館の案内図。

セルスス図書館

117年に完成した建物。前面壁面のみが残っているらしい。建物はゴート人の襲撃により焼失。

この遺跡最大の写真スポット。

 

外壁だけ残る内部。

4体の像が壁に建っている。本物はウィーンに持ち去られたそうです。上部にも4体の像があったらしいのですが盗み去られ

たようです。その他の建造物にも美しい大理石の壁面があったのを大半持ち去られているんだそうで、ボラさんここでも怒。

 

大劇場

 

(左)ライオンだとか恐ろしい獣の出口 (右)剣闘士の出口、奥は楽屋でウォームアップルーム。

ここは楽屋口。

 

港通

港から大劇場に通じるプロムナード。

 

壮大な遺跡の後は、ショッピングタイム。毛皮のお店で目の保養。高くて買えません。

ファッションショウを楽しむだけ。

昼食はレストラン「HITIT]でレンズ豆のスープ、チョップ・シシ(牛肉の串焼き)サフランライス添、プリンをいただく。

午後はパムッカレの石灰棚見学に向かう。

 

パムッカレの石灰棚

パムッカレとは綿の城と言う意味だそうです。

数千年にわたって流れ続ける鉱泉造り出した、石灰層の岩棚です。水量が減少して雑草が生えて真っ白い石灰棚の面積が

減少しているとのこと。ここも療養所跡なんですね。

正に源泉かけ流しの温泉です。

浴場

劇場

足湯です。かなり温かい。雄大な石灰棚の景色を眺めながら足湯に入ってリラックス。トルコは温泉大国ですね。

夕暮れの石灰棚。

棚田を思わせる風景。

 

今日の宿泊はパムッカレのテルマル・パム・ホテルです。JTB発行のワールドガイドに源泉をホテル内に持つパムッカレ随一

のホテルと書いてありましたがその通り。屋内プールも温泉です。ツアー仲間一同プールで子供に戻ったように大はしゃぎ。

日本の温泉場を想わせる佇まい。湯気の立っている所から源泉が吹き上げています。違うのは屋外プール付の所かな。

屋外露天風呂と屋外プール。

ロビー

本日の夕食はホテルのレストランでバイキング。

 

22日

今回のツアーで最もハードな移動日です。カッパドキアまで 670キロの旅です。東京から姫路までの距離を一日で移動しま

す。霧の中に朝日が昇ります。

今日もシルクロードを東に向かいます。

初めて列車に遭遇。通った後も中々踏切が開かないので遮断機を手で開けて勝手に渡ります。

貨物列車は数百両にも及ぶ為、降りてる時間が長く設定されてるんだそうで、皆当たり前のように押し上げて渡っていまし

た。延々と開くのを待つなんてことはしないらしい。

そして又シルクロードを東に。

今日の目的地コンヤに向かいます。

進行方向右手にはトロス山脈の山々が雪を頂いて連なります。

 

途中ディナールの街のドライブインで休憩。蜂蜜ヨーグルトを頂く。蜂蜜はトルコの特産品の一つです。ヨーグルトに蜂蜜をか

けてかき混ぜるだけですが美味しい。店の人が手を回しながら日本語で「ぐるぐる」と言って食べ方を教えてくれます。

コンヤに到着。大きな大学のある学園都市の感じ。

突然空からジェット戦闘機が急降下。トルコ空軍のアクロバットチームらしい。4機編隊で上空から地上すれすれまで降下し

て四方に展開また急上昇します。何度も何度も繰り返して訓練中のようです。以前観光バスで来た時に、余りの見事さに車

を止めて降りて見ていたら、パイロットも気付いたと見えて、バスに向かって急降下して楽しませてくれた事もあったとか。この

空軍チームは毎年アクロバット飛行のコンテストがあり何度もナンバーワンチームの栄誉に輝いているんだそうで、世界一の

チームだそうです。でもトルコ空軍・海軍はそんなに強くないとボラさん。強いのは陸軍と言います。トルコのお父さんアタチュ

ルクが独立戦争で率いたトルコ陸軍が最強の部隊だと主張します。ボラさんも兵役に服した時には陸軍でヘリコプターに乗り

アラブ国境の侵入者を自動小銃を手に監視する任務についていたといいます。

この辺りからボラさんの辛辣な米国批判が次々と飛び出すようになり始めました。

トルコはNATOに参加している訳ですが、それは米国(ヨーロッパの国々含め)の侵略から国を守る為でもあるのですと言い

ます。親米の一方でその他の諸国とも仲良く共存する全方位外交の国がトルコ。トルコには石油が無い、資源の無い国は彼

らの保護対象にはならないから有事の支援は期待できないのだそうです。軍事大国トルコは米国、ヨーロッパにとって脅威で

もあるのだそうで、だからこそNATOに参加しているんだと言います。トルコ人はプライドの高い人達です。

帰国してすぐにそれを想わせるニュースが流れました。

要旨は「1月29日開かれた世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)で、パレスチナ自治区ガザ地区へのイスラエル軍

の攻撃をめぐる討論の最中に、トルコのエルドアン首相がイスラエルのペレス大統領と激しい口論となった末、「ダボスには2

度と来ない」と捨てぜりふを残して途中退席するハプニングがあった。

エルドアン首相は、ガザ地区のイスラム原理主義組織ハマスに対する攻撃を弁護したペレス大統領の演説に、会場の政府

関係者や企業重役らが拍手したことを非難。イスラエルはガザ地区に「野蛮な」行為をはたらいたと強く批判した。しかし、司

会者が時間切れを理由にエルドアン首相の発言を遮ったため、ペレス大統領には25分の発言時間が与えられたのに自分

には12分しか与えられなかったと抗議。「発言を認められなかったから、2度とダボス会議には来ない」と宣言して、潘基文国

連事務総長や他の出席者の前を横切って、会場を後にした。

ペレス大統領はガザ攻撃について、ハマスがイスラエルにロケット弾など数千発を撃ち込んだことで、イスラエルが攻撃せざ

るを得ない状況に追いやられたとして、「ガザの悲劇は、イスラエルの責任ではなく、ハマスの責任だ。ハマスは独裁体制を

生み出した。非常に危険だ」などと主張。さらに、エルドアン首相を指さして、(トルコの首都)イスタンブールがロケット弾攻撃

の標的となったならば、トルコも同様の行動を取っただろうと述べた。

トルコのアナトリア通信は、エルドアン首相とペレス大統領が会議終了後に電話会談し、ペレス大統領が謝罪したと伝えた。

またエルドアン首相も同日夜、ダボス会議への今後の出席について再検討する可能性もあると述べている。

トルコはイスラエルと国交を持つ数少ないイスラム国家で、エルドアン首相は中東情勢の調停役として役割を模索してきた。

イスラエルがガザ攻撃に踏み切る直前に、イスラエルとシリアの仲裁に乗り出しており、これに対するユダヤ人団体からの非

難に対しては、「わたしは首相就任初日に、反ユダヤ主義が人道に対する罪であると述べたし、それ以前からそう主張してい

る」と反論している。」 こんなニュースでした。プライドの高いトルコ人がここに居ましたよ、あまり伝えられないトルコ外交姿

勢の一端が見られる一幕でした。なるほどね。

さらに米国はヨーロッパ、中東に駐留する大義名分を失わない為に反対勢力に資金援助しているんだといいます。かつての

アラファトもそうで彼の個人資産が膨大であった事を見れば解かるだろうと主張します。今ビンラディンが捕まらないのは何

故か、米国にとって彼の存在が必要だからと言うんです。活動資金は米国から出ているに違いないと言います。米軍は無線

はおろか携帯電話の通話まで傍受する能力がありながらビンラディンを捕まえないのは彼が必要だからだと力説。ニューヨ

ークの9.11テロも米国の自作自演に過ぎないと喝破。共感できるところも多々あるんで一同お話を謹聴する次第。お話は

まだまだ続くのですが疲れたのでまた後で。

丁度お昼となりましてレストラン「DUNDAR]でお食事。メキャベツの前菜、トルコ風ピザ、牛肉の煮込み、パン、デザートな

ど。トルコに来て初めてお肉の塊らしい物に出会いました。オックステールシチューみたいです。ぱさぱさの鶏のグリルよりは

るかに美味。

昼食後メヴラーナ霊廟を見学に。

 

メヴラーナ霊廟

神秘宗教メヴラーナ教団の総本山を見学。

教団はアタチュルクの政教分離政策により解散させられ、現在は博物館となっています。

左手を天に突き上げ右手を下にして回転するという所謂踊る宗教なんですが、衣装が美しい。

青タイルのとんがり屋根の建物内は撮影禁止。中はメヴラーナをはじめとする高僧達の霊廟、資料館となっています。手書

きのコーランや儀式の道具などが展示されていました。マホメットの髭を納めた箱があり、トルコの人達がガラスケースにキ

スしていました。

青空に青タイルのとんがり屋根が映えます。

 

 

 

トルコの子供達は可愛い。でも頭を撫でたり抱きしめたりするのはイスラムの国では侮辱と受取られる場合があるんだそうで

す。殊にアラブの国では厳禁らしい。相手の着ているものを誉めるのもやばいらしい。

 

こんやはコンヤに泊まらないので(添乗員さんのおばさん風だじゃれ)カッパドキア地方のネヴシェヒルの街に向かいます。こ

こはボラさんの実家のある街、故郷ですね。

景色は禿山の連なりに変ってきました。

途中隊商宿で休憩。

 

キャラバンサライ(隊商宿)に夕陽が沈んで行きます。

 

続きは続トルコで。