静岡県
久能山東照宮 (静岡県静岡市駿河区根古屋)
’09年11月静岡県静岡市駿河区根古屋の久能山東照宮を訪ねる。
「家康公は天文11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)にて生まれましたが 当時はいわゆる戦国時代。このときに一
小国より興りあらゆる困難にも打ち勝ち遂に天下を 統一し、乱世に秩序を与えて産業を興し学問を広め平和と文化の基礎を確立
し近世日本の 発展に偉大な功績をのこされた。晩年は駿府城に在ったが元和2年(1616)4月17日75歳で 薨去、御遺命により当
山に葬り、従来山上に在った久能城を廃止すると同時に2代将軍 秀忠公の命により宰相頼将卿(後の紀州家の祖頼宣卿)が総奉
行となり中井大和守正清を 大工棟梁として元和2年5月着工。同3年12月に至る僅か1年7ヶ月と云う短期間に造営された のが現
在の建物である。元和3年12月21日、勅使万里小路孝房卿以下参向。東照大権現の 神号を賜り又同年3月9日にも勅使中御門中
納言尚長参向。正一位御追贈の宣下があった。 社名は初め東照社と称したが正保2年11月3日宮号の宣下があり以来東照宮と
称するに至った。後明治維新の際旧来の制度は全く廃止されると共に神仏混淆の禁止に依り仏式に関する一切の 建物器具等廃
棄された。明治6年2月18日県社に、同21年5月1日別格官幣社に各々列せられたが 昭和21年2月2日官制廃止により社格は除去
され同時に旧来の社号を改め久能山東照宮と称する ことになった。尚、神廟・社殿・神庫・神楽殿・鼓楼・其他の諸建物は重要文
化財に又久能山全域も 国より史蹟として指定されている。」久能山東照宮由来より
日本平ロープウェイで下り、久能山東照宮に。石段を上らないですむと言う単純な理由からの事。
日光東照宮の原型となる神社だそうです。
ロープウェイ駅の社務所前からの眺め。苺のハウスが海岸線に並ぶ。
楼門 (重要文化財)
「前面の後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の 額が掲げてあるので勅額御門とも称え、左右に 極彩色の随身を、後面左右に生
彩色の狛犬と 獅子が据えてある。」久能山東照宮HPより
後水尾天皇御宸筆の「東照大権現」の額面
生彩色の狛犬
「この狛犬は通常の狛犬と違い 面が宮内を向いている。通常は、宮外を向いている。この理由は現段階では謎である。」
久能山東照宮HPより
極彩色の随身
神厩
「中に納められている馬の彫刻は、 左甚五郎作と伝えられ、馬の眼球は 当時貴重なギヤマン(ガラス)で作ら れている。」
久能山東照宮HPより
唐門前の石灯籠
鼓 楼
「以前は鐘楼であったが、神仏分離令の後、鐘を太鼓に 取り替えて今の名称に改めた。太鼓は明治6年旧幕臣小島勝直氏が 奉
納したものである。」久能山東照宮HPより
五重の塔跡
「3代将軍家光公の命により建立され、高さ約30Mあったという 五重の塔は輪奐の美を極めたものといわれているが、明治 6年に
取払われ、現在は在りし日を偲ぶ礎、敷石を元のまま 残すのみである。」久能山東照宮HPより
神楽殿 (重要文化財)
「神饌所の向側にあり、武家奉納の絵馬を 掲げたと伝われ、記録に拠ると古来神楽は 奏せざる例だとある。元和3年建築。」
久能山東照宮HPより
神庫 (重要文化財)
「神楽殿の東石段上にあって校倉 造りで、屋根入母屋銅瓦本葺漆塗。羽目、軒廻り辨柄塗。 縁廻りは全部銅板張である。」
久能山東照宮HPより
日枝神社
「御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)である。 元は、御本地堂と称し東照公の御本地仏とする 薬師如来像を安置してあっ
たが、神仏分離令により 明治3年12月、これを廃し境内の山王社をここに 移祀した。」久能山東照宮HPより
唐門 (重要文化財)
「四方唐破風造りで唐戸棟桁下羽目板 等細部にわたって豊富な彫刻色漆金箔等 を用いて頗る美観を呈している。」
久能山東照宮HPより
正面
側面
門扉
これが本当の唐獅子牡丹。
塀の彫刻。
右手の側門
本殿 (重要文化財)
「江戸時代初期の代表的権現造りで 日光東照宮の先駆をなすもの。元和2年着工同3年落成。屋根は初め檜皮葺であったが、寛
永 年間に現在の銅瓦葺となった。外観 の壮麗と相まって組物・桝肘木等細部 にわったての彫刻・絵画・色彩金箔を もちいて華
麗、目を奪う。権現造りの 特長は本殿と拝殿の間が一段低い 石ノ間と呼ばれる部屋でつながっている。」
久能山東照宮HPより
彫刻の拡大
本殿右側面
本殿左側面
本殿庇
左側面の唐獅子と随身。
廟門 (重要文化財)
「以前は御宝塔門と称えた廟所に通ずる門である。本殿の後方西にある。」久能山東照宮HPより
御廟所参道 (重要文化財)
「本殿の裏手から廟所に向かう参道廟門から約82mあり、左右に献燈が あり昼間でも木が鬱蒼と茂っていて 薄暗い。」
久能山東照宮HPより
御廟所 (重要文化財)
「本殿の裏手に在し家康公の遺言により御遺骸埋葬した所。御本殿の裏手約50mの所にあり 御遺命により御遺骸を埋葬し、 西向
きにたてられている。 塔は高さ5.5mまわり8mの石造り である。参道には諸侯奉納の 石灯篭がならんでいる」
久能山東照宮HPより
金の成る木
ご神木の杉。
山中湖に向かう途中富士川SAで休憩。SAから富士川越しに富士を眺める。
三国峠を越えパノラマ台からの眺め。
今年のクリスマスイルミネーションはこんな感じ。
俳句の館 風生庵
風生庵前の鈴木貞雄の句碑
「赤富士の やがて人語を 許しけり」
風生の愛用品など。
富安風生
「初富士の大きかりける汀かな」
「松が根に熊手をおけば春の富士」
「露涼し朝富士の縞豪放に」
「秋富士に孤鶴のごとき雲をおく。
「がつくんとふところ抉れ雪の富士」
(左) 「草木有情」 九十四歳 風生
(右) 「秋雲の帯胸高に駿河富士」 ”富士百句”初富士の句をもて起す
「初富士に門辺すなはち渚なる」
「赤富士に露の満天満地かな」
高浜虚子
高浜虚子
高浜虚子
高浜虚子
(左)水原秋桜子 (中)岩田紫雲郎 (右)石田波郷
(左)長谷川かな女 (右)夏目漱石
飯田蛇笏
土砂降りの雨の中早々に帰ります。
田貫湖(静岡県富士宮市)
’08年11月20日
田貫湖から富士を望む。
釣人が糸を垂れていました。
湖畔は緑と紅葉の対比が綺麗。
池に泳ぐ、シジュウカラガン(カモ目 カモ科)
白糸の滝・音止の滝 (静岡県富士宮市)
白糸の滝
’96年10月以来12年ぶりの白糸の滝と音止の滝。
今回は鑑賞スポットを滝の上にしてみました。素人カメラマンで賑っていました。
更に上には富士山が見えます。
滝の近くから。
紅葉越しに見る白糸の滝。
滝壺には虹が出ています。
音止の滝
場所をお茶屋さんの建ち並ぶ付近に変えるとやっぱり虹が。
滝の上にはやはり富士が見えます。
富士宮焼そば街道を通り帰途に。
寸又峡(静岡県榛原郡)
’03、11月
大井川鉄道
夢の吊り橋
白糸の滝・音止の滝 (静岡県富士宮市)
’96、10月
白糸の滝
音止の滝