神奈川県
大山 (神奈川県伊勢原市・秦野市・厚木市)
’09年、なんとなくスッキリしない天気の続く8月。ちっとも夏らしくなりません。
今日はお日様も覗くらしい天気予報なので、近場の大山に涼みがてら出掛けることに。
8月3日(月)小田急線で伊勢原に向かいます。伊勢原駅前から、朝8時20分発の大山ケーブル駅行きのバスに乗りました。
終点の大山ケーブル駅から参道の急階段を登り、9時始発のケーブルカーに乗車。大山阿夫利神社で下車。
大山阿夫利神社
「大山阿夫利神社の御鎮座、神社創立は、今から2200余年以前の人皇第10代崇神天皇の御代であると伝えられています。
古来より大山は山嶽神道の根源地であり、別名に雨降山、古名を大福山と呼ばれていました。
標高1253メートルの山頂に本社があり、延喜式神名帖に登載されている式内社です。
天平勝宝4年(752年)に良辯(リョウベン)大僧正が入山してようやく不動堂建立以来の時運到来、神仏習合の機が熟し、堂塔僧坊
を建て、霊石の由縁をもって石尊大権現と称し、雨降山大山寺と号しました。
この号は、神山の山頂にある、常に雨滴がたたえられている霊木にちなんで名付けられたもので、今なお、雨降木の名をもって残
されています。
以後、数百年の間、神職・修験・僧侶などが入り交じって奉務することになりました。
聖武天皇の勅願所であった時など、房相総3ヶ国の租税から一山の費用をまかなうなどして報賽(祈願成就のお礼参り)を欠かさな
かったものですが、元慶3年、大地震があって神火に遭い、一山すべてが無に帰してしまったのでした。
その時、鎌倉の僧、願行上人が来られて、再興を計られたのです。
その後、元歴元年9月、源頼朝は幕府所在国の霊社として、特に社嶺を寄せて篤く信仰しました。
徳川氏の時代になってからは、朱印黒印などをもって社領157石を寄進、また、神池境域の内外に除地・山林 200町歩を置いたり
したのですが、中でも三代将軍家光公は、18万両の巨費を献じて、本社以下、摂社末社を改築し、実に12坊8大坊でもって一山を
とりしきらせることとしました。
ところが、安政年間の大火で全山が灰燼に帰してしまい、以前の盛観はまったくなくなってしまいました。
崇敬者は再建に努力し、明治元年、神仏混淆の廃止・同年10月の鎮守府の命によって、石尊大権現らなびに大山寺の称を廃止し
て、阿夫利神社の旧号に復し、明治6年7月、県社兼郷社と定められ(初代祠官権田直助翁)、続いて昭和27年8月、宗教法の制定
により阿夫利神社本庁として出発、神社・祀職・先導師・講社一連の組織を確立し、神道の実践と日本神社宗教の確立を計ること
となり、現在に至ります。」 由緒、神社ホームページの説明より
下社への石段。
下社。
神泉
権田直助像
馴染みの無い方ですが Yahoo百科事典によれば
「幕末・明治初期の国学者、医者。名越廼舍(なごしのや)と号する。武蔵(むさし)国入間(いるま)郡毛呂(もろ)本郷(埼玉県入間
(いるま)郡毛呂山(もろやま)町)の医家に生まれ、医学を修めて開業したが、23歳のとき平田篤胤(あつたね)に入門して、神道
(しんとう)、国学を研究した。1862年(文久2)に上京して尊攘(そんじょう)運動に参加。維新後は新政府の大学中博士、皇漢医道
御用掛などに任じられたが、71年(明治4)国事犯の嫌疑を受け、免官のうえ1年余り幽閉される。赦免後、相州(神奈川県)阿夫利
(あふり)神社の宮司、皇典講究所教授、神道事務局顧問を歴任し、明治20年6月8日没。著書は『みたまのふゆ』『心の柱』など多
数ある。その神道説は篤胤の学を継承するもので、とくに造化三神の神徳を強調する。」 とあります。
この神社の宮司さんなんですね。
下社前の左手には町火消しの「め組」と「み組」の寄進した石碑と言うんでしょうか、塔が建っています。
こちらの神社は鳶の神様なんですね。
「め組」
「み組」
「み組」さんは左右一対の金灯篭でした。
下社左の浅間神社前には「れ組」の石碑があります。
「れ組」
つい先日散歩に行った谷中の諏訪神社にも「れ組」の寄進した鳥居がありました。
その左手には天神様が祀られています。
さらに左手から山頂本社への参道。急な石段です。
その他にも寄進された碑などが多数見られます。
下右の碑は「豆腐の碑」。大山豆腐で知られるだけに、豆腐屋さんの神様でもあるようです。
この日はかの有名な「め組」企業の皆さんが揃いの法被でご祈願に来ていました。芝神明の町火消し、「め組」の喧嘩で知られる
方達です。当時の頭領は新門辰五郎。今は浅草、浅草寺の寺内に叶V門をかまえ浅草で見掛けます。今の頭領は清宮さんという
方。先代の組頭にはひょんなご縁で一度お宅に伺った事があります。現在はご子息が組頭だそうです。
モノラック
急傾斜地の運搬作業を省力化させる機械のようです。モノレールですね。
8月1日放送の「ぶらり途中下車の旅」、桧原村で紹介されたのを見たばかり。旅人はジローラモさん。
「村の自治会などが中心となり、このモノレール設置したそうです。山の上に住む人は高齢で、獣道を行き来することは困難。
昔、この地域は落ち武者が住み着いていて、敵が攻めてくるのが見えるようにと、山の上に住み着いたのだとか。
会長の田之倉さんは「同じ人間なんだから、何をしているのかわからない、いつの間にか死んでいるなんてかわいそうじゃない?」
と日々、山の上に住む方を迎えに行ったりしています。地域の住民で助け合いながら暮らしています。」
と言った内容でした。
荷物専用型、乗車型などあるそうですが、ここのは荷物専用型。下社の下の大山寺迄しか車が入れないので、大山寺から下社の
区間に設置されていました。この日はガスボンベを運んでいたようです。
下社下のお茶屋さんの所には鹿が居ました。
お茶屋さんの下の道を歩いて二重の滝を見に。
熊出没注意の立札のある道を進み。
二重の滝
二重社
落語でお馴染み「大山詣り」の舞台となった地でもありますが,ご存知でない方にその粗筋を。
五代目古今亭志ん生、六代目三遊亭圓生、二代目古今亭志ん朝などの得意とした演目でした。
「現在、登山はスポーツやレジャーですが、当時は神信心で登っていた。講中があって富士山なら富士講、大山なら大山講が組織
されていて、その講のリーダーが先達さんと言われ、山案内をした。
当日は七つ立ち(午前4時)で、先達さんの家に集まった。「決め式を守ってくださいよ。腹を立てたやつは二分(1両の1/2)払い、
暴れたやつは坊主だから。」と言う事で出発した。
この決め式が効いたのか、道中間違いなくお山も済ませて、神奈川宿は大米屋さんという宿に入った。仲間の講から酒の差入れが
あったので、先達さんが足して5升の酒を仲間に振る舞った。先達さんは若い者だけにしてあげるからと、早々に隣の旅籠に行って
しまった。
酒が入った熊さんが、湯船に乱暴に入ってきた。熊が放った屁が仲間の鼻先で破裂した。それを吸い込んでしまったので、喧嘩が
始まった。「俺は腹を立てたから、二分払うが、熊は暴れたので坊主にする」と息巻いたが、若者頭に止められた。しかし、酔ってい
るので収まらない。熊を探すと酒と風呂で酔いが回って大の字になって酔いつぶれていた。
間二人で熊の頭を坊主にしてしまった。
翌朝は早立ち、お膳を一つごまかして、熊を置いて出掛けてしまった。
女中さんに起こされ、始めて坊主になってしまった、自分を認めたが後の祭り。通し駕籠を雇って一足お先に江戸へ戻ってきた。
熊の女房に、山に行った連中のおかみさん全員集めさせた。
「今年のお山は素晴らしかった。帰り道、金沢八景に回って舟に乗る事になった。気が進まなかったが『残る』とも言えずに舟に乗っ
た。船頭が『天気がおかしいので、またの日になさい』と言ったが、江戸っ子だからと舟を出した。烏帽子岩を回るときは解らなかった
が、その先にポツリと雲が湧いて、見る見るうちに真っ暗になってしまった。ポツリポツリと雨が降ってきたが、間もなく前後も、雨も海
も解らないくらいの雨になった。『キャ−キャ〜』言っていると、 突風も加わって、舟がひっくり返ってしまった。
間もなくして気が付くと誰一人知るものが居ない。『船が沈んで浜に打ち上げられたのはアンタ一人だ』と言われたときは、海に飛び
込んで死んでしまおうと思った。しかし『お前さんが死んだら、誰がこの事を知らせるんだ』と言われて、ハズカシながら江戸に戻って
きた。この先、いくら待ってもアンタ達のご亭主は帰っては来ませんよ」。
若いおかみさん達は「ワァーワー」泣き出した。「みなさん、熊さんをなんて呼んでるんだい。ほら熊、千三つの熊、チャラ熊と呼ばれ
てるんだよ。ウソに決まっているだろう。」、「先達さんのおかみさん、そう呼ばれているが『生き死に』の冗談は言わない。皆さんの菩
提を弔うために坊主になった。」と言って、頭の手ぬぐいを取って坊主頭を見せた。「見栄坊の熊さんが坊主になったのだから本当
だろう。」と先達さんのおかみさんが泣き出したのでたまりません。井戸に飛び込もうとする者まで出たので「そんなに菩提を弔いたい
のなら坊主になったら良い。」と騙して、全員丸坊主にしてしまった。
百万遍の大きな数珠を回しながら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。
話変わって、神奈川を出た一行。川崎、早昼。大森が八つ。日イッパイに品川に入ろうという、のんびりした旅です。品川八つ山下
の茶屋に腰掛けて、迎えを待っている一行であったが、だれも顔を見せない。おかしいので、考えてみると「川崎宿で追い抜いてい
った駕籠が温気が激しいのにタレを降ろしていた。あれはきっと熊が乗っていたのではないだろうか。」、「それでは迎えは来ないだ
ろう。」と言う事で、江戸に向かって歩き出した。
長屋に着いてみると、線香の匂いがして、鉦の音がした。熊の家には尼さんが沢山集まっていた。「あの尼さんはお前のところのか
みさんにソックリだ。」、「そんな馬鹿な事があるか。あっ!あれは俺のかみさんだよ。先達さんのかみさんもいるよ。あ〜、長屋中のか
みさんが居るよ。お〜〜ぃ、みんな来いよ〜」。
「さ〜ぁ、みなさん、死んで間もないから、亡者が入口当たりで騒いでいますから、しっかりお念仏を唱えてくださいよ。」、「あら、いや
だ。家の人だわ。」、「誰がこんな事を。熊のやろうか。お前は決め式で坊主になったのだろう。」
「ワラジを履いている内は旅の最中だ。腹を立てたら二分ずつ出しな。」、「う〜ぅ。話が出来ね〜。先達さ〜ぁん、来てくださいよ」。
「バカだねぇ〜、家の婆さんまでが坊主になっちゃって・・・。こんな目出度い事はありませんよ。」、「とんでもない。二分を取られた上
に、どこが目出度いんだ」。
「お山は無事済んで、家に帰れば、くりくり坊主。みなさんお怪我(毛が)無くてお幸せ」。」
と言ったお噺。
庶民信仰の対象であり娯楽でもあったんですね。
と言うことでお昼にはまだ早いので、大山寺まで女坂を下ることに。
女坂はこちらで良いんですかと登ってくる方に聞くと、この先を右にと教えて頂きました。スニーカー姿の我々を見て女坂なら大丈
夫かなとの事。やや不安。たちまち不安が的中。高尾山の女坂程度と侮ったのが間違いの元、とんでもない石段の坂道が続きま
す。落語は船で遭難、我々は坂道で遭難のピンチに見舞われる事に。大山をナメテはいけません。
前日の雨で濡れて滑りやすい石段をゆっくりと慎重に下山。
橋を渡って行かれるご婦人は我々よりも年上のようです。これから女坂を登るんです。大変な健脚、ウーン。
空も晴れて見晴らしも良くなってきました。
やっとの想いで、大山寺に辿り着く。
本堂
鐘楼
かわらけ投
ここにも「木遣塚」があります。これは江戸消防記念会の建立したもの。信仰心の厚さに感服。
芭蕉翁の句碑。
「雲折々 人を休むる 月見かな」
これまた、急な石段。
橋を渡ってケーブルカーの駅に。
丁度お昼時。名物豆腐料理の昼食を摂りに「小川家」さんに入る。
今日は曇り空。写真を撮るには生憎の景色。料理の写真でも。
(左)取り敢えずビールと向付けのゆば (右)ごま豆腐
(左)豆乳鍋 (右)豆腐ドレッシングのサラダ
(左)蒸し物 (右)豆腐焼売
(左)揚げ豆腐 (右)ご飯、赤だし、香の物
デザート 豆乳プリン
以上7品のセットで 3150円。組合のお約束があるらしく、どこのお店も価格はほぼ同じです。
衝立の向こう側にお座りになった親娘連れのお客さん。お母さんはなんと明治42年生まれの98歳。一人で立ったり座ったり、矍
鑠としておられます。聞けば毎日畑仕事や雑草取りもなさるんだとか、驚きました。いつまでもお元気で。
下りのバスを待つ間、アゲハチョウなど眺めてゆっくりと帰路に。
鎌倉 (神奈川県鎌倉市)
長谷寺のアジサイを見に
’09年6月23日、前日の天気予報は午前中雨。でも朝起きると曇り空です。梅雨の晴れ間が期待できそう。
9時半と遅めのお出かけとなりました。ネットの書き込みで評判を見ると朝の8時でもひとひと人の大混雑とありますが、旅番組や
お昼のワイドショウで定番の長谷寺と成就院に言って見ることにしました。朝日新聞のアジサイの名所日本一は「箱根登山鉄道」第
二位は「明月院」、第六位が今日行く予定の「成就院」です。
江ノ電「藤沢」駅から鎌倉に向かいます。
家から2時間かけて江ノ電「極楽寺」駅に到着。「成就院」に向かいます。程なく門前に到着。階段を上る人達が蟻のように連なって
いました。
成就院
「明月院と並ぶアジサイの寺で、石段の途中から見える由比ガ浜の海も見事。」 のキャッチフレーズで人気急上昇のお寺です。
ネットの書き込み通り、石段は人だかりで見えません。お寺の本堂からお墓に向かう石段みたいです。260株ぐらいのアジサイが
両脇に植えられているらしいんです。見所はこのワンポイント。拝観料も無しです。お賽銭など上げる余裕も無い大混雑。お寺さん
は大迷惑かも。
写真を撮るのに皆さん夢中。花を観賞している人は皆無のようです。
我々もそのうちの一組でした。
お花は見頃。
御霊神社
お参りする人はあまり見かけず。皆さん江ノ電と線路脇に広がるアジサイを写真に収めているだけ。
長谷寺
「本尊である十一面観音菩薩像(長谷観音)が安置される観音堂をはじめ、主要な諸堂宇が建ち並ぶほか、鎌倉の海と街並みが
一望できる「見晴台」と、傾斜地を利用した「眺望散策路」があり、鎌倉でも有数の景勝地となっている。」 お寺。
散策路にアジサイが植えられているので、この時期大賑わいのお寺です。
観音堂。手前左の木の囲いは混雑時、散策路は入場制限をするらしく、待つ人が並ぶ場所。左横上のボードには待ち時間が表示
される仕組み。遊園地の乗り物なみです。
長谷寺で頂いたうちわ。長谷界隈のアジサイの見所マップが付いてます。アジサイの代表的な花の写真と名称が載っています、洒
落たしこうですね。
お堂の裏手が散策路。入場制限はしていませんでしたが、かなりの混雑。
アジサイ越しに由比ガ浜が望めます。
ブルースカイと言う品種らしい。青が鮮やか。
竹林越しにアジサイを眺める。
ヤマアジサイは盛りを過ぎると花(額)が裏向きになるらしい。昨日見たテレビ東京レディース4の受売りですが。
アナベルと言う白花の品種らしい。
名札の付いていたお花の写真です。
(左) ホワイトエンジェル (右) キララ
(左) 三河千鳥 (右) ファンタスティック
(左) スノーレッツ (右) 夏祭り
(左) 花手まり (右) 海王星
(左) ワルツ (右) メランコリー
(左) 浜辺の詩 (右) 宵の星
(左) 小町 (右) アレキサンドリア
(左) 七段花(シチダンカ) (右) エゾヤマアジサイ
(左) 清澄沢アジサイ (右) エーゲ海
経蔵
鎌倉の海と街並みが一望できる「見晴台」からの眺め。トンビがくるりと輪を描いていました。
トビ頭上注意の立札があるので、のどかな景色ではないようです。観光客の食べ物を狙ってるんですね。
手にはアジサイの生花。
台座には虚子の句が刻まれています。
山門入ってすぐの池。花菖蒲が咲いています。
高徳院(鎌倉大仏)
鎌倉で唯一の国宝だそうです。
小学校の遠足以来五十数年ぶりの拝観です。
外国人観光客が目立ちます。はとバスもいっぱい来ていました。
大仏様の胎内
観音堂と奉納された大草鞋。
与謝野晶子の歌碑。
あまりにも有名な歌ですね。
「墨田の花火」と言う名の鎌倉で作出されたヤマアジサイだと思われます。
左は咲き始め、右のように色が変化する。
江ノ電「長谷駅」から帰路に。梅雨の晴れ間を目指して観光客が増えてきました。
「江ノ島」駅で、小田急線急行を待つ間に江ノ島を眺めて来ました。
真っ青な空が広がり、真夏の海の景色となりました。
橋を渡って江ノ島から眺める湘南の海は良いなあ。
疲れたので島の奥には入らず、電車に乗って帰宅。
箱根
’08 9月2日 箱根に
お昼に強羅到着。ホテルに行くのもちょっと早いので強羅公園に。
先ずは腹ごしらえからと公園入口のそば屋に入りお昼をいただく。けっこう美味しい。
強羅公園
箱根で熱帯植物など鑑賞しても仕方が無いのに、時間があるのでゆっくり散策。
下はパパイヤ
(左)ウツボカズラ (右)バナナ
マンゴー
美人蕉
旅人の木
(左)パイプカズラ (右)ベニヒモノキ
(左)パイナップル (右)ホウガンノキ
コーヒー
ブーゲンビレア
クロアゲハとのコントラストがいいですね。
ミッキーマウスノキ
実がミッキーに見えます。
シクンシ
白雲洞茶苑
普段は通り過ぎて寄らない茶室ですが、立派なものでした。
不染庵
噴水のむこうに明星ヶ岳を望む。大文字焼きの大の文字がはっきり見えます。
斉藤茂吉歌碑
ロープウェイで桃源台まで足を延ばし、湖畔を散策。
ロープウェイで折り返し宿へ。
途中富士山の山頂がちょっと申し訳無さそうに顔を出しました。それでも乗り合わせたスペインのご夫婦はずっと眺めて写真
を撮ってました。
9月3日
ホテルから望む
(左)明神ヶ岳 (右)明星ヶ岳
朝食後湿生花園にバスで向かいます。
湿生花園
秋の野草の花が見頃を迎えていました。
名称わからず
リンドウもあちこちに咲いていました。
湿原復原区
葦原に沢桔梗や女郎花が咲いていました。
施設めぐりバスで宿に帰る途中、ポーラ美術館に寄りシャガールを鑑賞。常設展も充実していて見応えあり。
化粧品は儲かるんですね。大変な数の収蔵品の資金になってるんですから。
入口で昼寝していたトカゲ。
9月4日ホテルをチェックアウトして仙石原にススキを見に出かける。
バス停「仙石高原」で下車、まだ時期が早いと期待していなかったんですが、とんでもない。ご覧のようにはや見頃を迎えてい
ました。人も殆んどいなくてラッキー。
帰るにはまだちょっと早いので海賊船で芦ノ湖を一巡り。
大涌谷で黒玉子など買いました。
ロープウェイで強羅経由、帰途に。
ゴンドラの窓から霞む金時山など眺めながら箱根湯本に向かいます。
天気が良くてよかったな。
06’11月、紅葉真盛り。箱根ロープウェイのゴンドラから眺める。
19日
湿生花園
小雨降る枯れ薄の中を歩く。11月一杯で閉園、花はもう終わり、枯れ薄と紅葉が見られるだけでした。
海賊船で元箱根港へ。深生そばでお蕎麦を頂く。昼食後坂道を上って成川美術館に入る。
成川美術館
平山郁夫のシルクロードを見る。絵は撮影禁止ですが、展望ラウンジから見る元箱根港は絶景ポイント。天気が良ければ正
面に富士山が見えるらしい。
芦ノ湖で雨足が強まり、今日の宿’リゾーピア箱根’に向かう。温泉に浸かり暫しの休息。
20日
大涌谷
朝迄雨が降りしきる。朝食を摂っていると、突然日が差し込み、青空が拡がる。昨日五里霧中の大涌谷にリベンジ。
黒玉子の製造地。
(左)ロープウェイの向こうに市街地を望む (右)大涌谷噴煙地
(左)遠く霞んで見える山裾が富士山 (右)紅葉の大涌谷に噴煙が揚がる。
箱根ロープウェイのゴンドラから眺める紅葉。
強羅公園
燃える様な紅葉につつまれた強羅公園。
噴水の向こうに咲く十月桜
宮ノ下で途中下車、渡邊ベーカリーで温泉シチューパンを僅か8席しかない店内で食べる。お土産に梅アンパン、季節限定
ブルーベリーパンなどを購入。旅のガイドブックには必ず登場する超有名店だけに大繁盛。直ぐ近くの豊島豆腐店で汲み上
げ豆腐(210円)を買い店先で食べる。チャップリンの散歩道を散策後、富士屋ホテルの庭園を鑑賞。
宮ノ下富士屋ホテル
(右)庭園の水車小屋
頭上に紅葉、足元は深紅の絨毯。
芦ノ湖
’05,11月
旧街道杉並木
箱根ロープウェイ
箱根ベゴニア園
’03,11月