岩手県
気仙沼 (岩手県気仙沼市)
日帰りで気仙沼に出かける。
気仙沼港
鰹を市場に降ろした漁船が出て行きます。
魚市場内部。
漁船から降ろした鰹がフォークリフトで市場内に運ばれる。市場は鰹だらけ。秋刀魚の姿は有りませんでした。
漁協の直営店「北かつ まぐろ屋」さんで昼食。
唐桑半島
リアス式海岸を見学に。
巨釜
水取場
八幡岩
貞任岩
貞任岩から前田浜を望む。
半造
柳田國男文学碑
とど岩
南下してきたとどが体を休める姿が見られるとか。
夜釣場
御崎
御崎漁業用無線局
御崎灯台
御崎神社
種山高原 (岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市)
「岩手県奥州市、気仙郡住田町、遠野市にまたがる物見山(種山)を頂点とした標高600-870メートルに位置した高原地帯である。
北上高地の南西部の東西11キロメートル、南北20キロメートルに及ぶ平原状の山で、物見山・大森山・立石などを総称して別名
「種山ヶ原」とも呼ばれている。」 ウィキペディアより
宮沢賢治の詩碑「種山ヶ原」
「 種山ヶ原
一九二五、七、一九、宮沢賢治
まっ青に朝日が融けて
この山上の野原には
濃艶な紫いろの
アイリスの花がいちめん
靴はもう露でぐしゃぐしゃ
図板のけいも青く流れる
ところがどうもわたくしは
みちをちがへてゐるらしい
ここには谷がある筈なのに
こんなうつくしい広っぱが
ぎらぎら光って出てきてゐる
山鳥のプロペラアが
三べんもつゞけて立った
さっきの霧のかかった尾根は
たしかに地図のこの尾根だ
溶け残ったパラフヰンの霧が
底によどんでゐた、谷は、
たしかに地図のこの谷なのに
こゝでは尾根が消えてゐる
どこからか葡萄のかほりがながれてくる
あゝ栗の花
向ふの青い草地のはてに
月光いろに盛りあがる
幾百本の年経た栗の梢から
風にとかされきれいなかげらうになって
いくすじもいくすじも
こゝらを東へ通ってゐるのだ 」
遠野市
07’10月8日天気も良く、暖かな一日、一関を朝8時に出て遠野に。
東北自動車道、花巻経由で一時間半足らずで道の駅 ”遠野風の丘” に到着。
岩手県は日本一面積の広い県(道を除き)ですが、遠野市も広い。花巻市を過ぎると遠野市に入りますが、走っても走っても
市街地に出ません。
市の面積全国ランキング43位なんです。ちなみに一関市は13位、日本一は飛騨の高山市です。
明治22年(1889年)町村制施行にともない遠野町が出来、昭和29年(1954年)近隣の村と合併し遠野市となる。平成17
年宮守村を合併今日に至る。最近の大合併よりかなり前からの大きな街なんですね。その広さの割りに人口は3万1千人と
少ない過疎の街なんです。駅前でも観光客がチラホラで、町民の姿がほとんど見られませんでした。お食事処も祭日なのに
休んでいるお店が多く観光地らしくありません。
道の駅駐車場脇では、お化けかぼちゃの展示会が行われていました。大きいもので 73.5キロ もあるんですね。
かぼちゃと言えばハロウィン。いろいろなくりぬきのかぼちゃも展示されています。
遠野の観光マップを貰って早速作戦会議。歩くお薦めコースが載ったパンフレットもありましたが、ほんの一部を廻っただけ
で 16キロ とあり、やーめた。
まずは、伝承園に向かいます。駐車場に車を止めて、近くの常堅寺とカッパ淵を見学。
カッパ淵
常堅寺裏の小川です。ほんとにただの小川です。とてもカッパが多く住んで人にいたずらをした所には見えません。
下は観光写真、定番の場所。らしく見えるんです。
薄暗くてカッパが出そうなのはこの辺りだけ。
カッパをお祀りした祠。
すぐ先は明るい田圃や野原の中を流れる小川の風情。
カッパ淵のすぐ横手に稲荷堂があります。安倍の貞任の末裔の屋敷跡と言われる場所だそうです。この稲荷堂は屋敷の東
北に位置する場所にあり、屋敷周囲の堀の跡が残っているのだそうですが歴史的価値は不明。
常堅寺
康平元年(1058年)創建のお寺。山門の仁王像は慈覚大師の作と伝えられる。市の重要文化財。
カッパ狛犬
頭にお皿のある狛犬
本堂の道元禅師像も市の重要文化財。
本堂内のビンズル様は円空作と伝えられます。
途中の道は日本の原風景。稲穂が風にそよぎ黄金の波。
伝承園
昭和51年国指定重要文化財の南部曲がり家。御蚕神堂(おしら堂)。遠野物語の話者佐々木喜善の記念館などがありま
す。曲がり家の座敷で語り部の遠野に伝わる昔話が聞けます。ただし予約制でだめでした。料金は5000円だそうですが、
高いか安いかは不明。
旧菊池家住宅(重要文化財)
18世紀前半の建築。最初は母屋が建てられた直ご家(すごや)と呼ばれる曲がりのない建物に馬屋を増築して曲がり家の
形にしたものだそうです。
左手が馬屋で増築部分。
縁側と屋根の庇部分。
(左)ながし (中)ちゃのま (右)じょい
(左)ねべや (中)(右)おくざしき
おくざしき
天皇皇后両陛下がお見えになった時使われたスリッパが大事に展示されておりました。
展示されている用具類
厠(トイレ)
古民家に付き物ですね。
風呂場
風呂桶も付属しているものは珍しい。
釣瓶井戸
水車小屋
山口集落の水車を見られない人の為にあるみたい。
コンセイ様
これも山崎のコンセイ様を見られない方の為かも。
御蚕神堂(おしら堂)
土蔵を移築したもの。オシラサマ1000体を展示しています。
その昔、農家の娘が飼馬に恋をした。怒った娘の父親が馬を殺した ところが馬と一緒に娘も天に昇り、オシラサマになっ
た。オシラサマは農業の神さま、馬の神さま、あるいは蚕の神さまだとも言われている。
(左)母屋から御蚕神堂(おしら堂)への廊下 (右)御蚕神堂(おしら堂)
母屋から御蚕神堂(おしら堂)への廊下内部
1000体のオシラサマ
堂内中央のご神木。昔話にちなんだ馬が刻まれてました。
板倉
(左)佐々木喜善記念館前のコスモス (右)佐々木喜善の銅像
山口の水車
佐々木喜善の生家を通り、
山口集落にある水車小屋に。田圃の中にぽつんと建っている姿が美しい。牧歌的な遠野の風景のシンボルの一つ。
ここには小さいながら駐車場と公衆トイレがあります。
岩手朝日放送テレビが取材中でした。
人を警戒しないアキアカネたちが、カメラにとまってはなれようともしません。
でんでら野
ちょっと戻って、田圃道を登るとありました。駐車場もない辺鄙なところで、あぜ道に車を留めて見学。
60歳になった老人達を捨てた場所だそうです。ここに建てられた小屋に住み、昼は里に降りて働きわずかな食料をもらって
戻り、肩を寄せ合って暮らしながら命果てる日を待つのだそうです。我々、もうその年を過ぎてるんです、寂しいな。
でんでら野から下の田圃を眺める。
とおの昔話村
遠野駅に向かい、駅近くの駐車場に入りました。
柳翁宿(りゅうおうじゅく)
遠野町にあった旧高善旅館を移築したもの。
お帳場
他に旧柳田國男隠居所などが保存されています。
柳田國男邸は成城の北口から数分の場所にあった家を移築したものです。
遠野の昔話を聞く。こちらは20分程ですが、100円で聞けます。語り部は菊池栄子さん。
オシラサマのお話など4つほどの昔話を聞きました。オシラサマについては、伝承園で予備知識を仕入れてきましたので良く
理解できました。
南部曲がり家”千葉家”
最後に遠野市内からかなり離れた国道396号線、盛岡方面の途中にある南部曲がり家”千葉家”に立ち寄る。
日本十大民家の一つ、重要文化財の建物。日本十大民家の他の9つはさっぱり解かりませんが、パンフレットによれば、飛
騨の合掌造りがそうらしいのです。丘の中腹に石垣を築きその上に建つ豪農の屋敷です。城郭のようにも見えます。「外から
見てみると、屋根は茅で葺き、周りを土壁で塗りつぶし、柱や貫だけを露出させる。これを遠くから眺めると、自然の風景に
溶け込んで、小さな山や丘に見えた。(「遠野物語小事典」より)」とも言います。さてどちらに見えますか。
10月はこの澄んだ青空が似合います。
蔵
母屋
(左)住居部分(現に住んでいるので非公開) (右)萱葺きの屋根
(左)大工小屋 (右)稲荷社
馬屋内部のみ公開されています (左)馬屋 (中)駕籠 (右)馬具
九谷焼の皿
漆器類
作業小屋に展示してある用具類、調度品
住居からの眺め
入口の坂道の途中にある樹齢700年と称するカツラの木。根元の洞から桜と松が生えていました。
遠野を後に一路一関に。
正法寺(岩手県奥州市水沢区黒石町)
10月9日。朝から雨。草取りも出来ないので、水沢の正法寺まで出かけました。一時間程で到着。
南北朝時代の貞和4年(1348年)創建の曹洞宗のお寺。福井の永平寺、鶴見の総持寺に次ぐ格式の古刹。
日本一の大きさの萱葺き屋根を持つ本堂で知られる。
惣門(重要文化財)
寛文5年(1665年)創建。自然石の石段がすごい。一段一段が高くて上るのが大変。ほとんどの方々は右手の坂道を上が
ります。
下は惣門全景
(左)惣門を本堂側から見る (右)惣門入口脇のお地蔵さんと石塔
本堂(法堂)
重要文化財。間口29.6メートル、奥行21メートル、高さ26メートルの大きさで文化8年(1811年)伊達家により再建された
もの。
下は霧雨煙る中の日本一の大きさの萱葺き屋根を持つ本堂全景
下から見上げる巨大な萱葺き屋根。
(左)開山堂から本堂の屋根を見る。屋根の紋様が良く分かる。
(右)本堂を行く僧侶達。この日は研修会の様なものが行われていたようで、各地から集まって修行をされていました。
本堂内部
(右)は釈迦涅槃図。江戸時代のもの。寺宝の一つ。
本堂左手の座禅堂
本堂右手の開山堂
開山堂内部
庫裏(重用文化財)
寄棟造り、萱葺き屋根の大きさは160坪。文化4年(1807年)の再建。
寛政11年(1799年)の火災の出火場所で、この火災で大半の建物が焼失したのだそうです。
庫裏内部
(中)はびんずる様
下は囲炉裏と土間
鐘楼(市指定有形文化財)
庫裏の右手にあります
熊野大権現堂
本堂左手の山の中腹にあります。
三門跡と仏殿跡
礎石だけが残っています。
釈迦三尊座像
室町時代 明徳3年(1392年)のもので、県指定文化財。寺宝。
表の襖は開いていませんでしたが、座敷横の襖が開いていましたので拝観させていただきました。
仏殿本尊の釈迦三尊で、『正法寺什物帳』には常に筆頭に掲げられていて、正法寺の中心となる仏像であることを示してい
ます。仏殿は寛政11年(1799年)の火災後再建されず、現在は本堂(法堂)西室中の上段の間に仮安置されています。中
央は釈迦如来、向かって右が獅子座に乗る文殊菩薩、左は象座に乗る普賢菩薩です。明徳3年(1392)以降10年間に亘
って正法寺関係の仏像を造り続けた仏師「立増」の作と伝えられています。
正法寺の七不思議
(右)片葉の葦(片方にのみ葉を付ける)と虎斑の竹(茎が虎模様)
(左)子啼池 (右)文福茶釜
桂の木
境内の周囲は杉の大木
黒石寺(岩手県奥州市水沢区黒石町)
帰る途中にある、天平元年(729年)創建の天台宗の古刹。
裸祭りの蘇民祭で有名なお寺だそうです。
本尊の木造薬師如来坐像、木造僧形坐像、木造四天王立像は重要文化財。
貞観4年(862年)、薬師如来像造立。永承2年(1047年)、伝慈覚大師像造立。それぞれ胎内に墨書があり、貞観銘は日
本最古のものだそうです。同時代の四天王像、平泉時代に寄進された日光・月光両菩薩像、鎌倉初期の十二神将像はいづ
れも奈良や京の影響が見られる仏像だそうです。
宝物殿に安置されていますが、事務所で拝観をお願いすれば、拝めます。お寺の方が見世物ではない、秘仏ですが、鍵を開
けてお見せしますと、客引きまがいに勿体をつけて勧誘されたのでやめました。
本堂
(左)妙見堂 (右)鐘楼
瑠璃壺川
蘇民祭の時、ここで水垢離をしてから、本堂と妙見堂を三巡するのだそうです。
雨降り止まぬ中帰途に。