青森県
東北道を北へ。途中岩手山がお出迎え。
「岩手山(いわてさん)は、東北、奥羽山脈北部の山。標高は2,038mで、二つの外輪山からなる複成火山。岩手県最高峰である。」
ウィキペディアより
途中「花輪SA」に東北道の最後の給油所の表示あり。給油してから十和田に向かう。
十和田に入り昼時分となりました。子の口で昼食後先ずは奥入瀬に。
奥入瀬渓流 (青森県十和田市)
遊歩道が整備されています。ウォーカーには素晴らしい景観が楽しめます。
されどマイカーで楽しむには駐車スペースが石ヶ戸休憩所一ヶ所だけ。それも数十台で一杯。観光バスも止める所を探して右往左
往の状態です。レンタサイクルも遊歩道は使えず車道を走らなければなりません。車道には見所の表示があまり見当たらず、レン
タサイクルの観光客には不親切。
車はのろのろ止める場所を探して急停車、危ない。マイカー族には最悪の観光地です。新緑や紅葉のシーズンには通過するだけ
になりそう。
佐藤春夫の詩碑。
九段の滝
白糸の滝
岩菅の滝
雲井の滝
雲井の滝と阿修羅の流れの間にある急流。
阿修羅の流れ
大目玉の一つ。それでも駐車スペースは五六台分位しかありません。駐車場ではない山側」の傾斜地です。
屏風岩
三乱(さみだれ)の流れ
画伯が一心不乱に描いています。
十和田湖 (青森県十和田市)
8月29日
奥入瀬渓流散策後十和田湖に。
峠を越えてきた時に見た、初荷峠展望台から見る十和田湖。
休屋の遊覧船船着場
子の口と並ぶ観光地。ながらシャッター通りと化しています。
今日泊まるホテルもこの地区にあるのですが。一泊二食 5555円に入湯税 200円と言う格安。この地区では大手のホテルでも
この価格。それもその筈、辺りの民宿などが、5800円看板を出しています。乙女の像と観光船遊覧位しか無いんだもん。
観光振興策の立ち遅れですね。家族連れで楽しむスポットが何も無いんです。
遊覧船からの景観。
御倉半島
屏風岩
山の頂上下の赤茶けた山肌の露出部が金屏風と呼ばれる部分らしい。火山の噴火により隆起した部分だそうです。
烏帽子岩
中山半島
見返りの松
錦ヶ浦
紅葉の名所。
六万石
湖面に太陽の煌めき。
8月30日
早朝の十和田湖
恵比須大黒島
恵比須大黒島と中山半島。日の当たっている島、右が甲島、左が鎧島。
右が 甲島、左が 鎧島。
恵比須大黒島の松に鳶が一羽、羽を休めています。
恵比須大黒島にも陽が差し込んで来ました。水面に島影、湖面奥は霧に煙る。
乙女の像
早朝から観光客の訪れる場所はここ位。駐車場から結構歩きます。
十和田神社
由緒のありそうで無い神社のようです。
原生林が綺麗。写真中央の登る道が中山半島の展望台への道。修験者の道だったようです。
木漏れ日の参道。
開運の小道
神主さんの洒落っ気で出来たような道。
溶岩の岩窟に神を祭っていますがご利益の程は不明。
左 火の神 右 風の神
左 金の神 右 何の神様か忘れました
左 天ノ岩戸 右 日の神
十和田湖・八郎潟・田沢湖に伝わる「三湖伝説」
「鹿角郡の草木(くさぎ)村(現・秋田県鹿角市十和田大湯草木地区)に八郎太郎(はちろうたろう)という名の若者が暮らしていた。
八郎太郎は村の娘と旅の男との間の息子で、父親は寒風山で竜に姿を変えて消えたと言われており、母親は難産で死んでいたの
で祖父母に育てられ、マタギをして生活していた。
しかしある日仲間の掟を破り、仲間の分のイワナまで自分一人で食べてしまったところ、急に喉が渇き始め、33夜も川の水を飲み
続け、いつしか33尺の竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを知った八郎太郎は、十和田山頂に湖を作り、そこの主と
して住むようになった。この湖が十和田湖である。
三戸郡の斗賀村(現・南部町)に南祖坊(なんそのぼう)という男が住んでいた。
南祖坊は諸国で修行をした後、熊野で「草鞋が切れた場所が終の棲家になる」との神託と鉄の草鞋を授かり、十和田湖で草鞋が
切れたため、八郎太郎に戦いを挑んだ。南祖坊と八郎太郎は7日7晩戦った。南祖坊は勝者となって十和田神社に祀られることと
なった。
八郎太郎は米代川を通って逃げ、途中七座山の辺で川を堰止め湖を作ろうとしたが、地元の7柱の神々の使いの白鼠に邪魔さ
れ、更に下流へと向かった。その際、白鼠を食べようとする猫を紐でつないでおいた地区が能代市二ツ井町小繋(こつなぎ)地区で
ある。
日本海附近まで来て、ようやく湖を作る適地が見つかったので、その支障となる天瀬川(あませがわ)(現・秋田県三種町天瀬川)の
老夫婦の家を訪ね、明朝鶏が鳴くと同時に洪水が来るから避難するようにと伝え、湖を作り始めた。しかし姥は逃げる途中で麻糸
(糸巻きという話もある)を忘れてきたことに気づき取りに戻った。そのとき、鶏が鳴き夫婦は逃げ遅れたため、八郎太郎はそれぞ
れ別々の岸へと放り投げて助けた。夫は湖の東岸に、妻は北西岸に祀られている[4]。出来上がった湖が八郎潟である。
仙北郡の神成村に辰子(たつこ)という名の娘が暮らしていた。
辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか
保ちたいと願うようになる。
辰子はその願いを胸に、観音菩薩に百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告
げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。
狂奔する辰子の姿は、いつの間にか竜へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、泉を広げて湖とし、そこの
主として暮らすようになった。この湖が田沢湖である。
悲しむ辰子の母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりとい
う。
八郎太郎は、いつしか辰子に惹かれ、田沢湖へ毎冬通うようになった。辰子もその想いを受け容れたが、ある冬、辰子の元に南祖
坊が立っていた。辰子を巡って再度戦った結果、今度は八郎太郎が勝ちを収めた。
それ以来八郎太郎は冬になる度、辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主が半年の間いなくなる八郎潟は年を追うごとに浅くな
り、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。
人間に姿を変えた八郎太郎の旅の途中、彼を泊めた旅籠では夜の間彼の部屋を見てはならないと言い含められ、覗き見た宿は
必ず不幸に合うと言われていた。
いつしか時は流れ、八郎潟が干拓された今では、八郎太郎は一年中田沢湖に住んでいると言われている。」 ウィキペディアより
奥入瀬渓流を車で下り、八甲田山を目指します。
八甲田 (青森県青森市)
「八甲田山系は八甲田大岳を盟主として南北2群の火山よりなり、その中間に睡蓮沼を含む湿原地帯がある。
山系を構成する山々は北部より前嶽・田茂萢岳 (1,324m) ・赤倉岳 (1,548m) ・井戸岳 (1,550m) ・大岳 (1,584m) ・小岳 (1,478m) ・
高田大岳 (1,552m) ・雛岳 (1,240m) ・硫黄岳(八甲田) (1,360m) ・石倉岳 (1,202m) ・逆川岳 (1,183m) ・猿倉岳 (1,354m) ・駒ヶ峯
(1,416m) ・櫛ヶ峯 (1,517m) ・乗鞍岳(八甲田) (1,450m) ・南部赤倉岳・等の山群である。」 ウィキペディアより
十和田温泉郷の焼山から山道に。
蔦温泉
秘湯ブームの先駆者的温泉。朝から出発する宿泊客で賑わっていました。
大町桂月の歌碑
お墓もあります。
蔦沼を中心に遊歩道も整備されています。駐車場も大きいし散策には便利かも。
木漏れ日のドライブウェイ。ドライバーには何よりの景観。
睡蓮沼
右端の裾野が高田大岳。右から小岳、八甲田大岳、硫黄岳。
高田大岳と睡蓮沼
左 石倉岳、 右 硫黄岳
酸ヶ湯温泉
北八甲田連峰
南八甲田連峰は「猿倉岳 (1,354m) ・駒ヶ峯 (1,416m) ・櫛ヶ峯 (1,517m) ・乗鞍岳(八甲田) (1,450m) ・南部赤倉岳等」今回は見ら
れませんでした。
田茂萢岳展望台からの眺め。
ヤチスゲの群落。
八甲田ロープウェイ
「冬、春のスキーや樹氷見物はもちろん、ゴンドラ(101人乗)に乗り10分で到着する田茂萢岳山頂駅からは、八甲田の山なみだ
けでなく、陸奥湾、津軽・下北両半島や津軽平野そして岩木山と360度のパノラマが楽しめます。特に初夏の新緑と秋の紅葉は見
逃せません。」 八甲田ロープウェイの説明書より
八甲田ロープウェイ山頂駅から青森市街と陸奥湾を望む。
今まで乗った中でも最大規模のロープウェイでした。
もう一台のゴンドラと途中ですれ違います。
圧巻はこれ。ロープを吊る鉄塔の上で作業する人達。見ている方が怖くなります。
安全柵も無い鉄塔の上でお弁当食べてました。すごい度胸に感服。
城ヶ倉を経て黒石に下ります。
城ヶ倉大橋
橋上より八甲田連峰を望む。
橋下は渓谷。
黒石から東北道に入り帰途に。岩木山がはっきりと見えました。、「おいわきやま」や「津軽富士」と呼ばれて古くから山岳信仰の対
象として崇められてきた山ですね。演歌の「帰って来いよ」に歌われた山の方が分かりやすいかも。
「岩木山(いわきさん)は青森県弘前市および西津軽郡鰺ヶ沢町に位置する標高1,625mの安山岩(SiO2 56〜64%)からなる成層火
山(コニーデ型)。円錐形の山容から津軽富士とも呼ばれる。津軽平野のどこからでも見ることができる独立峰で青森県の最高
峰。山頂部は、岩木山・鳥海山・厳鬼山(岩鬼山)の3つの峰で形成されている」 ウィキペディアより